表紙 / 弥生の原郷を訪ねて / 苗年・侗年の祭り / 22 肇兴のお葬式

22 肇兴のお葬式
12月13日、肇兴で買った地図に「肇兴景区八寨ー山示意図」があって、肇兴の南の山の中に「上地坪(しゃんちぃぴん)」という村があるので、この村以外はすでに訪れたので、かなり遠そうだが行って見ることにした。

朝、旅館の前のメイン道路に露天市場があって、蒸したもち米に網焼きの豚肉と刻んだ青菜の漬物をはさんだおにぎりを買って旅館へもどると、老板娘が、上地坪は食べるところがないからそれを持っていったほうがいいよ、というので、出発のときにまたもち米おにぎりを1つ買って上地坪へ向かった。

しかし、すぐに爆竹の音が聞こえてきて、先日焚き火で一休みした「礼団鼓楼」での葬式に行き当たった。

前回肇兴へ来たときもお葬式に出会ったが、またまたお葬式で、上地坪へ行くのはやめてまた式次第を見ることにした。

 

お供えの肉で形作った「姜公釣魚」と「蓬莱山」は前回同様だが、この時は「白兎」も供えられていた。

「兎」は、、吉野裕子氏の一連の著作によれば、陰陽五行では、「東」を表し、「姜公」と「蓬莱山」も「東」を象徴しているもので、太陽が昇る方向から、死者も蘇って、命の輪廻を繰り返すことの祈りが込められているのだろう。


生贄のヤギも繋がれていた。


蒸したもち米と腌鱼(あぁゆい)もたくさん準備されている。


葬式をとりしきる人は前回と同じだったが、この日もビデオに収めた。


棺は、前回は村の西の山の墓地に運ばれたが、今回は東の山へ運ばれた。
墓地はけっこう遠かったが、棺をかついだ葬列は歩いていく。

墓地は山の中腹から船型に作られた村を見下ろす位置にある。

 

10時ぐらい。埋葬は続いていたが、ここまできたらこの先の堂安(たんあん)という村を再訪することにしてそこからまた40分ほどあるいて公道を登る。

村は雲の中の霧雨で、シーズンオフで人もほとんどいなかった。

 
 
 

鼓楼のベンチに腰掛けておにぎりを食べ、早々に今度は山道を通って下山した。

肇兴の東のはずれにきて振り返ると、この日埋葬された墓地の山の木が傘の形に刈り取られているがわかった。

「傘」は、侗族が崇拝する「萨玛祠」にも立てられていて、男根の象徴でもあり、陰陽五行でいうと「東」の象徴でもある。

肇興へ戻って散歩していると、おばさまが藍染しているところに行き当たった。


見慣れない道具をバイクに積んでいる人がいたので、それは何か、と聞いてみると、「ネズミ捕り」とのことだった。


23 上地坪 へ