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13 报德鼓蔵節 結年
翌12月5日は、报德の鼓蔵節の「結年(じぇねん)」。

祭りのスケジュール表によれば、この日には、「苗歌」とバスケットボール大会があることになっている。

昼飯を食べてから报德へ向って歩き始めてすぐ报德へ向うバスがやってきたのでそれに乗って行く。

报德の車溜りについてすぐ若者が声をかけてきて、将来日本へ留学したいんで日本語を教えてください、というのでなんやかや話をすると、私が写真を撮っているのでバイクで景色のいいところへ案内する、と、碧苟の村のちょっと先の山のてっぺんまで連れて行ってくれた。

向かいの山に3つの集落が望めてすばらしい眺めだ。


碧苟の村で新築の家の前には、祭壇が作られている。

祭壇中央で、白い紙で作られた八の切れ目のついた円形のお札のようなものに木の棒が突き立てられている様が印象的だ。

吉野裕子氏の「祭りの原理」で読み解くと、正に「性交」を象っているように見える。


碧苟から报德へ下りて行く時に、向かいの山で爆竹が鳴り、なにか儀式をしているようなので报德へ戻り若者と別れてからそちらの山を登ったが、私の選んだ道は、もうひとつ奥の山に登る道で、自分の目指したところへはたどりつけなかったが、山上の村である碧苟を望むことができた。

その山上ではバスケットボール大会が行われているのが見える。


报德では、小さな市が立っていて、車溜りでバスケットボール大会が行われていたが、苗歌のコンテストはなかった。


雷山県の各地で行われた祭りのDVDを売る店があって、他の村で行われた苗歌のコンテストのDVDを買う。


宿に帰って晩飯に老板と老板娘といっしょに鍋を囲んだが、そのときに買ったDVDを見て、どの組も同じメロディーでうたうので、老板の阿陳に何故かと聞くと、苗歌のコンテストは、歌う前に自作の歌詞をよみあげ、その歌詞で競われるのだそうだ。

万葉歌もこんな感じで歌われたのかな、と思う。

报德から郎徳上寨へ帰るときに、道に茅で作った道塞ぎの印が置いてあった。

新年を迎えるにあたって、悪邪の侵入を防ぐためなんだろう。


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