表紙 / 弥生の原郷を訪ねて / 苗年・侗年の祭り / 03 郎徳上寨 苗年

03 郎徳上寨 苗年
2012年11月26日、旧暦の10月13日、「卯」の日」は、苗族のお正月の「苗年」。

黔東南苗族侗族自治州文化局編「黔東南民族伝統節日」によると、苗族は、旧暦の10月を年の初めとする少数民族の一つで、旧暦10月の、第一か第二の「卯」の日を新年の「苗年」としているが、「寅の日」や「丑の日」の所もあるそうだ。

26日早朝、3時50分と4時30分に村の入口で爆竹が鳴り、花火が上がる。

前日の「寅」の日に「殺猪」を行い、苗年は餅つきをして始まる。

私の泊まっていた農家旅館でも、朝から老板娘がもち米を蒸している。

 

で、朝食は蒸したてのもち米にしてもらった。
塩を少しまぶしただけだが、旨い。

例によって朝食後トイレへ行って出てくると、老板娘が餅つきの碓を洗っていた。

碓は舟型。


この日は、旦那の阿陳は親戚のところへ行っていて不在で、餅つきは老板娘一人で行う。


餅をひっくり返す相方なしでどうやってつくのかなあ、と思っていたが、舟型の碓は細長く、つく場所をいっぱいに伸ばしてつけばひっくり返さなくてもいいようだ。

つきはじめるちょっと前に村のほうで表演の始まる合図の花火が上がっていたので、餅つきは最後まで見ずに村の方へ向う。

旅館から村のほうへ歩いて行くと大勢の観光団が村へ入る寨門前の道路にたむろしているのが見える。

しばらくして、爆竹が鳴り、「十二道拦门酒 (しゅうあぁだおらんめんちゅう)」が始まった。




この行事は、客を迎えるためのもので、村の入口の寨門にたどり着くまでに12箇所の関所が設けられて、正式には、客は各関所で2杯の酒を飲み干さなければならず、12番目の寨門では牛角杯を飲み干さなければならない。

杯は1/4斤(125ml)、牛角杯は1斤半(750ml)入るそうで、本来なら22杯2750mlと牛角杯750mlで、
32度ほどある米焼酎を2升以上も飲まなければならないことになる。

我々観光客は杯に1/4ほどのお酒を飲み干すか、なみなみと入っている時は一口飲む。


後で旅館へ戻ったとき、旅館の娘さんの同級生たちが集まって鍋を囲んで宴会をしたらしく、男の子が一人、24杯を飲み干したそうで、完全にダウンして歩けなくなって、女の子3人に抱きかかえられて帰っていった。


お酒で迎えてもらって寨門をくぐり、表演が行われる銅鼓坪へ向う。

 

この日は、3回表演があって、私は3回とも見る。

芦笙(るうせん)の演奏や木鼓舞、銅鼓舞などなど、最後の銅鼓舞では村の大勢の老若男女が輪になり壮観であった。


郎徳上寨の美女.

 

午前中の表演が終わって旅館へ帰るところで、大勢のカメラマンが群がっているのが見えたので私ものぞきにいくと、表演で撮った可愛い女の子がポーズをとっていた。


帰る途中、道路と川にはさまれた田圃では魚(鮒や鯉)とりをしている。


本気でとっているようではなかったので、表演の一部だろうが、苗年でご先祖様に2尾のお魚をお供えするのは必須のことで、稲田で養った鯉をとる姿は他の村でも見られた。

旅館へ戻ると、丸餅が干してある。


直径10~15cm。けっこうでかい。

昼食は、早速そのお餅にした。

炭火で焼くかと思ったが、塩を少しふって油で焼いてくれた。


油ですこしくどくなるが、餅は甘みがあっていい粘りで旨い。

この後何度かこのお餅を食べたが、阿陳は炭焼きと餅を小さく切って茹でて砂糖を加えてしるこのようにして食べさせてくれた。

旅館へもどって休んでいると、旅館の高校2年の娘さんが表演から戻ってくるのが見えたのでパチリ。


この民族衣装の刺繍は、お母さんである老板娘が3年かけてほどこしたものだそうだ。

午後も表演を見て過ごす。


夜21時ごろ、老板娘が大きな丸い竹ザルに2尾のお魚をのせたお皿や酒などをのせてご先祖さまに祈りを奉げるために家の奥へ入っていった。

私もついていこうと思ったが、老板娘が、自分一人で祀らなければならないからついてこないでちょうだい、というので残念ながら祀りの仕方は見ることができなかった。

ただ、ご先祖さまを祀ったあと、建物にあるいくつかの入口の前で線香をあげて香紙を燃やした跡は見ることができた。


老板娘が広間に戻ってきて、明日の朝早く4時ごろに起きて食事の準備をして皆で食べるから、準備ができたら起すよ、と我々宿泊者に告げてまわった。

そして、老板娘が台所へ行き、明日の朝、ご先祖さまに奉げるために「殺鶏」をするのを見てから、とりあえず就寝。


04 郎徳上寨「早晨の宴」と雷山大塘「新橋村」 へ