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03 小黄

10月14日はホテルをチェックアウトして「歌郷」といわれる「小黄(しゃおほわん)」へ向った。

前もってバスセンターの時刻表を見ておいて、小黄行きのバスは7:50にあるはずであったが、切符を買おうと窓口に行くと、今日はバスが出るかどうかわからない、という。

ということは、バスは無い、という意味で、困ったなあ、と思ったが、私と同じように小黄へ行こうとしている3人組の旅行者がいたので声をかけて、いっしょに面包車をチャーターして小黄へ行くことにした。

往復200RMBで一人当たり50RMB。

途中、「高増(かおつぇん)」、「岜扒(ばぱ)」などの村を通り、車を止めてもらって写真を撮る。

高増では村へ入ると、大きな榕樹と寨門が印象的で、次の日はまたこの村へ来ようと決めた。


次の岜扒では街道の岜扒への入口に奈良の勧請縄のような門が竹と木で作られている。


この村は、男女の産み分けをする術を持った巫師がいることで有名だそうで、同乗の父と女の子の2人連れのお父さんが、また奥さんを連れてこようかなあ、と言うと、娘さんが怒っていた。


いくつか山を越えて1時間ほどで小黄に到着。

この村は、从江から約14km、「歌の里」として有名だそうだ。

村の入口には寨門がある。


そして侗族では最長といわれる「風雨橋」がある。

「風雨橋」は、立派な屋根付きの橋で、住民の憩いの場にもなっている。


侗歌の表演の行われる鼓楼の前で車を降り、私はまずこの日泊る農家旅館を探したが、とりあえず1軒だけ営業しているようでまずはそこに落ち着いた。

トイレは共同だが、この日の昼食・晩食込みで1泊65RMBでべらぼうに安かった。


旅館へ入って正面の祭壇。


宿も決まって村の散歩にでると鼓楼に盛装した男女がたむろしていて、広場では撮影機材を運んでいる人たちがいて、車で同乗した人がここで侗歌の撮影がある、と教えてくれた。

広州の映画会社の撮影隊が来ていて運良く美しい歌声を聴くことができた。


素晴らしい歌声に感動して、ビデオカメラを持つ手が震えて往生した。

後で歌っていた若者に曲名を聞くと「蝉之歌」とメモ帳に書いてくれた。

歌の途中の「るるるるーーーー」は「ヒグラシ」の鳴き声だろうか、蝉の声だったんだなあ。


他の曲も聴けるかと撮影隊に付いてまわったが、この撮影隊は「蝉之歌」だけをいろいろな場所で撮影するだけで、この1曲にか聴けなかった。

 

侗族のシンボルの「鼓楼」。

「鼓楼」は、薛羅軍著「侗族の音楽が語る文化の静態と動態」によると、

「公民館的な性格を持つ鼓楼は村民の姓が1つだけの村には1つあり、村民の姓が複数ある村にはその姓の数だけあります。どちらの場合にも鼓楼は政治、文化活動の中心地です。」


色々な意匠が凝らしてあり、美しい。

 

村には、鼓楼が3座ある。

 

鼓楼の広場の脇に「戯台」という侗劇が演じられる舞台もある。


村の中央には小さな川が流れていて、いくつも「花橋」が架かっている。


川の上流のほうにはいくつかの養魚池もある。


魚を捕まえるのか大きな網を担いで歩くおばあさん。


ここでももち米を干している。

最初に村に入ったとき、すべての建物には竹で足場が組まれていて、ずいぶん改築工事の多いところだなあ、と思ったが、その竹組みはもち米を干すためのものだった。


藍染めも盛んで、綿布をトントン叩く姿はここでもたくさん見た。

 
 
 
 

この村で足踏み式石臼はよく見る。

 
 

魔除けには、稲藁や葉付の木の枝などが掲げられている。

 

沖縄でよくみる「石敢当」の木札もよく見る。


村の南南東にある裏山への上り口には、平安を祈る「道しるべ」もある。

 
 

そのすぐ近くの木には、稲穂と御幣のような白紙で作ったまじない物も見られる。

 

この山の頂上に意味ありげな構造物があった。

後で、宿のおばさんに写真を見せて、「これは何だろう」、と聞いてみたが、「よくわからない、鳥を捕まえるわなかもしれない」との返事。


十字に組んだ長いほうの竹は、北北西向きで、こんもりと草木で被われた空間の地面には、これも意味ありげに木の枝や石が置かれている。


村人の生活をスナップ。

綿糸を紡ぐおばあさん。

撮影隊が頼んだようで、民族衣装が新品のようだ。


竹細工するおじさん。

 
ひたすら竹を削るおじいさん。


薪を運ぶおばさま。

 
 

煙草をふかして憩うおじいさん。


おしゃべりで憩うおばあさんたち。


子守のおばあさん。


宿に帰って、夜も幸運が訪れた。

昼飯が14時ごろで遅かったので19時半ごろ晩飯にして、食後散歩に出ると、鼓楼の方から歌声が聞こえてきたので行ってみると、団体グループが歌隊を雇ったようで「歌垣」が行われていた。

途中からしか観れなかったが、いい機会に恵まれた。

 
 

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