表紙 / 弥生の原郷を訪ねて / 初めての貴州 / 03 郎徳上寨

03 朗徳上寨
今回の旅は、中国のガイドブック「貴州自助游」を参考にして、日本の新嘗祭にあたる「吃新节(つぅしんじえ)」が凱里市内で旧暦7月13日にある、と書かれていて、その日は新暦の8月30日にあたるのでそれに合せて凱里に入った。

ホテルに着いてすぐ受付の女の子に、吃新节はどこであるの、と聞くと、もう終わったよ、との返事。

電話でどこかへ聞いてくれて、吃新节は各村々で違う時期に行われるので自分で行って確かめるしかない、ということで、貴州2日目は、凱里からそんなに遠くない、南へ28kmに位置する「郎徳上寨(らんたしゃんざい)」へ行くことにした。

バスセンターはホテルから歩いて5分ほどのところにあり、8時前に行ってみると、郎徳上寨へのバスは7:30~17:30まで1時間に1本あり、私は8:30のバスに乗ることができた(9RMB)。


凱里は北・東・南は山地になっていて、バスは郊外へでると山の中を走り、途中、「南花苗寨」など苗族の村を通り過ぎて1時間ほどで郎徳に到着する。

郎徳の集落は、上寨と下寨とあって、バスは上寨の風雨橋のたもとが終点になる。

「風雨橋」は、苗族だけではなく、中国西南部の少数民族に共通して見られる橋の上に楼閣のある立派な橋で、村の入り口に造られている。、

 

風雨橋を渡るとそのたもとに、石を祀る小さな祠があった。

祀られているのは「石」で、神像はない。


橋を渡って村の写真を撮っていると、モップを川へ洗いに来たおばさんが、お昼ご飯はどうするの、農家旅館をやっているからうちで食べないか、と言うので、何かの縁だろう、とそうすることにして、とりあえずその農家旅館へ行って一休み。


川をはさんで郎徳上寨の対岸の田圃に囲まれた中にあり眺めもよくて気に入ったので、昼食の予約をしてから上寨の村の中を歩く。

 

村は山の斜面に沿って建物が建てられ、村へ入る「寨門」が3箇所設けられている。



村の中心に祭が行われる「銅鼓坪(とんくぅぴん)と呼ばれる広場がある。


村の路地はすべて石畳が敷き詰められている。


この地域の苗族の住居は「吊脚楼(てぃあおじぁおろう)」という2階部の柱が宙に浮いている様式で有名で、この様式は今も流行っているようで、このあと色々な村へ行ったが、新築の建物はほとんどこの様式で建てられている。


高床の1階の土間は、豚などが飼われている。

 
 

石畳の道は山の上のほうへ続き、上からは草やサツマイモの葉っぱを担いで村人が次々に降りてくる。


茅を刈っているおばさんに聞いて見ると、こうして刈ったものは牛の餌にするとのことだった。


各家の門口には、「口嘴标(こうついぴぁぉ)」と呼ばれる魔除けのまじないものが掲げられている。

 
 
 
 

吃新节は、「米」の初穂のお祭りだが、昨年のものだろうか、「粟」の穂を軒先に掛けている家もあった。


栽培されているのはほとんどが米だったが、一か所だけ、「黍」が熟している畑もあった。


トウモロコシを干している家も多い。

 
 

浙江省の義烏でも見たことがある「鏡」を掲げている家もある。


村の中に小さな池も造られている。


バス停近くの広場では、出荷のためだろうか、ブドウを袋から取り出す作業をしていた。


今回は、民族衣装で着飾ったの人たちは見られなかったが、この村では女の人が髪に花の飾りを付けるのが特徴であるらしい。

 
 

村をひとめぐりして農家旅館へ戻り、頼んでおいた料理、私の好きな西紅柿炒蛋(トマトと卵の炒め物)と炒豚肉に米焼酎(半斤;250g)で昼食にする(62元)。

 

米焼酎でいい気持ちになって、吊脚楼につきものの見晴らしのいい部屋にある「美人靠(めいれんかお)」に横になり一眠りする。

 
 

「吃新节」について聞いて見ると、9月3-5日にある、ということで、それじゃあその日に出直すことにして、2泊3日、ここに泊るのを予約した。

帰り道、川沿いの遊歩道脇の畑に茅をしばって刺した「立ち入り禁止」を表す「草標(つぁおぴぁお)」も見ることができた。

 

凱里へ戻ると、ホテルのある横丁の路地で線香をあげて黄色の紙(多分、紙銭)を燃やしてお祈りしていたが、この日は旧暦の7月12日で、ご先祖様の迎え火だろうか。。。。

 
 


04 西江 へ