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11 上江洲家住宅とその周辺 
上江洲家(うえずけ)住宅は、「久米島文化スポットマップ9」によると、

国指定重要文化財建造物。

「上江洲家は、代々具志川間切地頭代(ぐしかわまぎりじとうだい)を勤める要職にありました。現在の建物は乾隆(けんりゅう)19年(1754)、7代智英によって建築されたとの記録があります。新築当時は母屋と下屋(とんぐゎ)が隣接して建てられていましたが、その後雨端瓦葺きとなり、明治24年(1891)下屋改築の際に母屋と下屋を接続し、瓦に改められました。現在の建物は当初の建築ですが、平成4年度から平成6年度にかけて住宅・石垣などの半解体修理が行われました。
 屋敷の周囲は立派な石垣で囲われており、「石垣殿内(どぅんち)」と呼ばれています。南側の表門を通ると石牆(せきしょう)のひんぷんがあり、北側及び石垣の東西を福木に囲まれ琉球王国時代の民家の屋敷構えを今も残しています。建物は木造平屋建てですが、茅葺きから雨端瓦葺きとなり、その変遷を良く伝えており、この形式の葺き方は天后宮(てんこうぐう)にもみられます。」


私は、2度上江洲家住宅を訪ねたが、2度とも「本日かってながらお休みします」とふられてしまい、中を見ることはできなかった。


屋敷を囲う石垣は見事で美しい。


上江洲家住宅の案内板の横に、この集落の見どころを示した地図があったので、集落の中を散策した。


上江洲家住宅の裏手に「ヒランサー」という水場があったが、水は枯れていて、普通の側溝のような感じ。

 

上江洲家住宅の北西側の十字路を挟んで「新垣」という拝所がある。

表示柱の説明書きによると、

「アラカキのマキヨ(古集落)の根所(草分け)。この家の男子が世襲でヲヒヤになった。向かいに『新垣倉下(あらかちんぐゎっちゃ)』がある。(火の神名は、ミヤカノ森アカゴチヤガナシ)


祠内には、花と香炉が並び、お茶をお供えするようだ。

神様にお茶を供えるのは、中国の少数民族、越の末裔の侗族が女神ぼ萨玛を祀るときにお茶を供えるのと同じだ。

ここの斜め向かいの「新垣倉下(あらかちんぐゎっちゃ)」

民家の駐車場のようで、ここがそうなのか?、と迷ってしまった。

表示柱の説明書きによると、

「旧暦6月の稲大祭の祭場。『蔵下(グヮッチャ)』は、古い時代の公倉の跡、またはその象徴的な場所と考えられる。ノロの乗馬石がある。」


新垣倉下の向かいには、「西銘ノロ殿内(にしめぬのろどぅんち)。

表示柱の説明書きによると、

「西銘(にしめ)・上江洲(うえず)」・久間地(くまじ)3集落の祭祀をつかさどる西銘ノロの火ノ神を祀っている。(火ノ神名、ヲシワキノアカゴチヤガナシ)」


拝殿の後方に本殿がある。

 

拝殿内には、大きな香炉と3つの湯飲みが祀られ、お酒、お花も供えられている。


新垣から西へ少し行くと小高いところに「泰山石敢當(たいざんいしがんとう)」の石柱が立っている。。

「久米島文化スポットマップ10」によると、

町指定有形民俗文化財。

「久米島町字西銘(にしめ)にある泰山石敢當は、高さが約1.2mで、前側中央に「泰山石敢當」、右上に雍正(ようせい)11年(1733)、左下に八月吉日と刻まれています。「石敢當」に年号が刻まれるのは珍しいことで、その中にあって日本では二番目に古く、県内では年代が記されたものでは最古のものです。
 「石敢當」は中国から14世紀後半にもたらされた除災招福の風習で、主に屋敷に突き当たる場所(T字路、十字路)に立てられています。年号が刻み込まれ、創作年代を把握できる貴重な資料です。」


集落の北東に上ったところの森が「上江洲御嶽(アラカキの杜)」。

表示柱の説明書きによると、

「あらかき村のコシアテ(腰当て)、村を抱き護る神のまします杜。『あらかきのもり』『あらかきのみや(庭)』『あらかきのいなみね』などと謡われた。」


後日上江洲家住宅を再訪したとき、集落の西側も散策した。


「拝所チナバク」

表示柱の説明書きによると、

「笠末若按司(がさしわかちゃら)が、釣り縄・釣針を納めた海箱を保管した場所と伝承されている。若按司は、伊敷索按司(いしちなはあじ)の三男。山里で生まれ、後に登武那覇城(とぅんなはぐしく)の城主となる。」

祠の前面には3つの「ひし形」の紋様がある。

「ひし形」は、吉野裕子著「祭りの原理」によれば、女性の象徴で、子孫繁栄の象徴。

祠の内には、これも女性の象徴の「三角石」が祀られ、石段に「ひし形紋」と「巴紋」が付いている。

これらは、中国の少数民族の越族の末裔の侗族の村々でもよく見られる。

幹線道路が上江洲集落の所でカーブするところに「西銘遠見番所跡」がある。

表示柱の説明書きによると、

「王府時代、渡唐船(ととうせん)や帰唐船(きとうせん)、異国船(いこくせん)などを見張りした場所。常時二人の役人が詰め、船の往来を逐一報告した。(通称「ハッタモー」という」

番所跡から西の海を臨む。

番所跡の広場には、お祭りの時の相撲に使われるのか、土俵のような砂場があった。


いわくありげな石積みもある。


ここから駐車しておいた上江洲家住宅へ戻る途中、井戸のある広場があり、蒲葵の林に囲まれて聖所のような雰囲気であった。


上江洲家住宅から北へ数kmの所に「上田森」の公園がある。

上田森は、「久米島文化スポットマップ11」によると、

町指定名勝。

「大岳小学校の前方に位置する上田森は、旧具志川村を展望する景勝地として子供たちや地域の人たちに親しまれてきた美しい森です。
 森の山麓には上江洲御嶽があり、古くより拝所として崇敬されてきましたが、特に昭和50年(1975)に旧具志川村の慰霊之碑がこの地に建立され、戦没者を祀る聖域として周辺を公園化し保護活用するため指定されました。
 今では新たに久米島町の慰霊碑として合祀され、6月23日の慰霊の日には町主催の慰霊祭が行われています。」

 

上田森からだるま山公園まで、車も通ることができる自然遊歩道があり、そのだるま山公園の一画に「白瀬ぶれ松の歌碑」がある。