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その3 出雲大社 神迎神事
今回の旅の目的の一つが、出雲大社の「神迎神事」。

出雲大社の「神在祭」の初日、稲佐浜で日本全国からの神々を迎える神事で、「竜蛇様」が祀られる、ということで「竜蛇」といえば、海洋民「越」のシンボルだから、以前からぜひ見てみたい、と思っていた。

(写真は、瀧音能之著「図説、出雲の神々と古代日本の謎」からコピーした。)


瀧音能之著「図説、出雲の神々と古代日本の謎」によると、

「出雲大社では、旧暦に則って神在祭がとりおこなわれる。陰暦の10月10日の夜が神迎神事、翌11日から17日までが神在祭で、のべ7日間にわたって行われる。
 神迎神事は、稲佐浜にかがり火をたいて注連縄を張り巡らし、その中に神籬(ひもろぎ)と神々の先導役を果たす竜蛇神とを配置して、海上からやってくる八百万の神々を迎える。神々が依りついた神籬を出雲大社の境内にある末社の十九社に遷して安置する。十九社は細長い社殿で、本殿の左右両側に二か所あって神々の宿泊所としての役割を果たしている。
 11日から本社や十九社および稲佐浜にある上宮(かみのみや)などで神在祭が行われる。この期間、神々は縁結びなどさまざまな神議(かみはか)りをおこなうことになる。
 神在祭の時期は、山陰地方ではちょうど季節風が吹き荒れ、海はしける日が多い。海が荒れた日には、稲佐浜やその周辺の海岸に『竜蛇』が打ち上げられることがある。
 竜蛇とは、背中が黒く腹部は黄色の海蛇で、学名をセグロウミヘビという。この海蛇は、竜神の使者といわれ、八百万の神々の先導役を果たすことから、『竜蛇さま』とよばれて崇められる。
 海岸に漂着した『竜蛇さま』は、曲げ物に盛って出雲大社に納めるのがしきたりとなっている。
 最後の17日には神送りの神事である神等去出神事(からさでしんじ)がおこなわれ、出雲大社での神在祭は終わりを告げる。
 その後、神在祭の舞台は、佐太神社に移り、20日から25日までおこなわれる。そこで出雲大社では17日、26日の2回、神等去出神事をおこなう。17日は、神々が出雲大社を去る日、26日は出雲国を去る日というわけである。」


で、2026年11月29日午前中は神社巡りをして、午後、、漁港前の「JFしまね大社水産物地方卸売市場」前の神霊社の駐車スペースに駐車して16時ごろまでのんびりし、少し昼寝もして、16時過ぎから行動開始。

まずは、稲佐浜に行く。


しまね観光ナビ」によると、

「稲佐浜には、弁天島という小さな島があり、岩上には豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祀る小さな祠があります。白い砂浜は南へ向かって美しい弧を描いて長く伸び、日本の渚百選にも選ばれています。また弁天島をシルエットに夕日が沈む風景は素晴らしく、「日が沈む聖地出雲」のシンボルとして日本遺産にも登録されています。」

豊玉姫命は、「ウキペディア」によれば、

「海神(わたつみ)の娘で、竜宮に住むとされる。真の姿は八尋の大和邇(やひろのおおわに)であり、異類婚姻譚の典型として知られる。神武天皇(初代天皇)の父の鸕鶿草葺不合尊の母であり、天皇の母の玉依姫の姉にあたる」

私は、「竜宮」は、中国の浙江省だろうと思っていて、あらためて、出雲は、「海洋民の越」とのかかわりが強いと感じる。

 

神事が行われる浜にはすでにブルーシートなどを敷いて場所取りがなされているので、後ろの方での見物になるだろうから、と一旦車に戻り、折り畳みの足場兼腰掛を取りに戻った。

5時近くになると、夕日が沈み始める。

確かに日が沈む聖地、出雲、稲佐浜の夕日は美しい。


神事は、19時から始まったが、電灯は消されて暗闇の中で行われるので、柏手の音や微かな祝詞の声などが聞こえるのみだったが、初めに2本の神籬を祭壇に掲げるところは電灯がまだ点いていたので確認できた。


1時間ほど稲佐浜で神事が行われ、「竜蛇さま」に導かれて、白布で囲まれた神籬は出雲大社の拝殿へ移される。


拝殿でも暗闇の中で神事が行われ、八百万神々の依代の2本の神籬は、境内の東西にある十九社にそれぞれ導かれ、そこに神々は落ち着き、21時ごろ神事は終了した。


思っていたより多くの、多分千人以上はいたと思われる見物人は、結構若い人たちが多くて意外ではあった。

この日は、午前も午後もよく歩いたので結構疲れてしまい、車に戻って、海岸公園の駐車場で車中泊。

昨日買った地酒の残りと持参した芋焼酎で助六寿司をアテに晩酌をして22時半ごろ消灯。


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