| 表紙 / 神社・古墳めぐり / 出雲の旅 その1 出雲大社 |
| 出雲大社
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| かねてから訪ねてみたかった出雲へ旅に出た。 11月29日が旧暦の10月10日で出雲大社では「神迎神事」があり、12月3日には島根半島の東端に位置する美保関にある美保神社で行われる「諸手船神事」もあり、思い切って11月28日から12月5日まで軽自動車で車中泊をして、神事と神社、遺跡巡り、そして石見神楽も観ることができた。 28日早朝、高速道路の深夜割引を利用するため午前1時すぎに家を出て出雲へ向かう。 途中、吹田の手前で道を間違え、一旦高速道路から出ることになり、割引はそこで終わりになってしまった。 何度も休み休み走り、10時過ぎ、日本海側に出た。 山越えは曇りで雨もぱらついたが、日本海側へ出ると快晴。 10時半過ぎ、宍道湖PAで休憩して宍道湖を臨む。 |
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12時前、出雲大社に到着。 大社の駐車場は、社殿の近くにあるが、とりあえず、一の鳥居へ参道を歩く。 川にかかった橋の向こうにあり、そこから参道は始まる。 |
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参道沿いの店は、神迎えの準備のためかお休みのところが多かった。 |
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参道を抜けると、道路越しに「二の鳥居」がある。 |
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この鳥居の前に、何件か「出雲蕎麦」の店があり、昼飯時で蕎麦でも、と思ったが、どこも大勢の人が並んでいるので断念して、二の鳥居を進む。 すぐ右側に、「祓社(はらえのやしろ)」がある。 この社は、参拝者のお祓いを司る神を祀っている。 |
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さらに進むと、保存されている松の参道の入り口に、「三の鳥居」が立つ。 |
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松の参道の脇の道を行くと、「手水舎」があり、いよいよ「四の鳥居」をくぐり、拝殿が見えてくる。 この鳥居は、銅鳥居。 |
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まずは参拝。 出雲大社は、「二礼四拍手一礼」 注連縄は、思っていたほど大きくはなかった。 |
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出雲大社の起源は、DeAGOSTINI「日本の神社1号、出雲大社」によると、 「『日本書紀』に記された国譲り神話では、大国主大神が高天原の天照大御神に国を譲り、その代わりとして建てられた『天日隅宮(あめのひすみのみや)』が出雲大社の始まりとされる。また、このとき天照大御神は大国主大神の私心のない『国譲り』に感激し、自分の第二子である天穂日命(あめのほひのみこと)を大国主大神に仕えさせたという。この天穂日命の子孫は代々『出雲国造』と称し、今日まで84代にわたって祭祀を行ってきた。 『出雲国風土記』では、出雲の祖父神である八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が国土を広げるために朝鮮半島や能登半島などから国を引き寄せた後、その国土経営にあたった大国主大神を称えて多くの神々に命じて宮殿を築いたことからこの地を”キヅキ”というとあり、出雲大社の古名である『杵築大社(きづきのおおやしろ)』という名前は、これに由来する。」 「出雲大社の境内では、縄文時代にまで遡るさまざまな遺構や遺物が発掘されてきた。中でも、御本殿から東へ約200mの地に鎮座する摂社・命主社(いのちのぬしのやしろ)の境内からは、江戸時代初期に2000年前の弥生時代の祭器である銅戈と勾玉が出土している。また、御本殿前の境内からも、古墳時代や奈良時代までに遡るさまざまな祭器が多数出土している。出雲大社の周辺は、少なくとも弥生・古墳時代以来、聖なる場所として祀られ続けてきたのだ。」 拝殿の後ろには、「八足門」がある。 ここでも、もう一度参拝。 ここから内には入れない。 以下、社殿・祭神などは、DeAGOSTINI「日本の神社1号、出雲大社」を参考にした。 |
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八足門の蟇股などにほどこされた彫刻は、「左甚五郎」作と伝えられているそうだ。 |
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八足門は、寛文7年(1667)の造営で、重要文化財に指定されているそうだ、石段の下に、巨大柱の発見場所を示す石畳が敷かれている。 |
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八足門とともに回廊に囲まれた内に、楼門があり、その内に本殿が建つ。 |
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八足門の回廊と瑞垣、楼門の玉垣に囲まれた本殿との間、八足門を入った左右に「門神社」が建つ。 「門神社」は、東側西面の社には宇治神(うじのかみ)」を、西側東面の社には久多美神(くたみのかみ)を祀っている。 瑞垣と玉垣の間に本殿と並んで、向かって左に「筑紫社(つくしのやしろ)」、右側に御向社(みむかいのやしろ)と天前社(あまさきのやしろ)が建つ。 「筑紫社」は、正式名称は神魂御子神社(かみむすびみこのかみやしろ)。宗像三女神のうち第一の女神であり、大国主大神の妻となった多紀理比売命(たぎりひめのみこと)を祀る。 「御向社」は、正式名称は大神大后神社(おおかみおおきさきのかみやしろ)、素戔嗚尊の娘神である須勢理毘売命(すせりひめのみこと)。 「天前社」の正式名称は、神魂伊能知比売神社(かみむすびいのちひめのかみやしろ)で、大国主大神が若いころに災難に遭って大火傷を負った際、天神の命により大神の治療をした蚶貝比売(きさがいひめのみこと)・蛤貝比売命(うむがいひめのみこと)の二神を祀る。 「本殿」は、日本最古ともいわれる神社建築様式「大社造り」で建てられており、8階建てのビルに相当する24mの社殿は、日本一の高さを誇る。現在の社殿は延享元年(1744)に造営されたもので、広さは10.9m四方。田の字状に配された9本の大きな柱で支えられており、中央の「心御柱」にはとりわけ太い木が用いられている。現在、柱は礎石の上に立っているが、17世紀以前には柱根を地下に埋める掘立柱建物であったことがわかっている。また、社殿は南に向かって建てられているが、殿内の御神座(ごしんざ;御神体)は西を向くという、極めて珍しい構造をしている。檜皮で葺いた屋根の上には2本の木材を交差させた2組の千木と3本の勝男木を配して装飾性を高めている。 |
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神紋は、「二重亀甲に剣花菱」 ネット検索によると、 「亀甲は古来より「不老長寿・繁栄」を象徴し、剣は荒魂を表すスサノオ命との関わりを示しています。この神紋は、出雲大社が持つ「優しさと力強さ」の両面を体現しており、出雲地方の文化的背景を色濃く反映しています。」 |
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本殿の参拝を終えて、境内を散策した。 まずは、本殿などの後ろ姿。 本殿左の二社は、左が天前社、右が御向社。 |
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境内の左右(東西)に十九社(じゅうくしゃ)がある。 翌日、神迎でやってくる全国の神々の宿所となる。 |
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十九社の少し先にある「釜社(かまのやしろ)」 |
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本殿の後方に回ると、本殿の後方のちょっと高い所に、「素鵞社(すがのやしろ)」がある。 |
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社殿の西側に回って、「氏社(うじのやしろ)」と西の「十九社」 |
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奈良の三輪、大神神社の三輪の神様は、酒の神・醸造の神として信仰されているそうだが、ここ出雲大社は、「日本酒発祥の地」だそうだ。 三輪の神様も大物主で、出雲の大国主大神と同神とされているから、大国主がここで酒造りを始めたんだろう。 |
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お酒が奉納されていた。 |
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相撲の神様、「野見宿祢神社」。 奈良の三輪にも野見宿祢を祀った「相撲神社」がある。 |
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近くに土俵もあった。 |
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松の参道の右側は広場になっていて、山側の森の入り口に鳥居が見える。 |
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鳥居のある森は、「杵那築森(きなつきのもり)」といって、社はなく、森が祀られている。 |
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境内から東へ出ると、趣のある石畳の街並みがある。 |
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境内へ戻って、「宝物殿」を見学する。300円。 館内は写真撮影が禁止だったが、2000年に出土した鎌倉時代前期と推定されている柱根が展示されていて、3本を束ねて直径3mだそうで、現物を見るとその大きさを実感できた。 駐車場へ戻るときに、神楽殿の前を通り、こちらの大注連縄の方が、イメージ通りだった。 |
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14時も過ぎて腹も減り、駐車場近くの店で、出雲蕎麦にすることにした。 何軒か並んでいたが、1店は有名店なのか大勢が並んでいて、その隣の店を覗いてみたらガラガラだったので、そちらに入る。 名物割子蕎麦と名物釜揚げ蕎麦のセット1500円。 それに喉もカラカラでノンアルコールビール380円。 まずまず。 |
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ガソリンスタンドを探して給油。 大社前の道の駅「大社ご縁広場」に戻り、地酒を仕入れる。 「天隠 出雲大社」 610円 |
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ここから近くの日帰り温泉を検索すると、出雲駅前の「らんぷの湯」がヒットして向かう。 駐車場2時間まで無料で、950円。 1時間ほどのんびりして、また近くのスーパーマーケットで晩酌用おつまみとビールを仕入れる。 前回の旅で合鴨が旨かったので、今回も見つけて購入。 期待通り旨い。 |
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今回は、時間が早かったか、値引きはまだだったので、あれもこれもとはいかず、日本酒のアテには海苔巻きを選んだ。 これは、予想以上に旨かった。 |
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大社前の道の駅に戻り、晩酌して、いい一日だったと20時過ぎ車中泊で消灯。 |
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| その2 日御碕神社・韓竈神社 へ |