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14 岩洞・ 尚重
貴州省の東南部を「黔東南(ちあんとんなん)」というが、その地域の祭りについてのガイドブック「新奇的節俗」に1年間の祭りのスケジュールがでていて、旧暦の9月10日(10月24日)に黎平近くの「岩洞」というところで「闘牛節」が行われることになっている。

22日、とりあえず岩洞へ行って、本当に闘牛節があるのかどうか確認して、ある場合は泊る場所の確保をしようと思った。

バスは8:50発「口江」行きに乗り、10元、約1時間で岩洞へ着いた。

 

この村は3つの集落に分かれていて、それぞれに鼓楼が立っている。

まずは一番近くに見える鼓楼のほうへ歩いていくと男の二人連れがやってきたので闘牛節があるのかどうか聞いて見ると、今は村では牛は飼っていないので闘牛節はなくなった、との返事。

やっぱり無いか、、、、とがっかりしたが、村を散策することにした。

 

鼓楼の内には、毛沢東の肖像を中心にいろいろな絵が掲げられている。


鼓楼の中を通り過ぎていったおばあさん。


少し離れた集落の鼓楼へ向う。

 

普通は、鼓楼の土間の中心に焚き火をする炉があるが、この鼓楼は中心に大黒柱が立ち、それを囲んで小さな炉が3つある。


この集落には「侗人文化家園」と掲げられた建物があったので行ってみると、研修センターのような感じで、2階は泊れるようになっている。


管理している青年がでてきたので、もう一度闘牛節があるかどうか聞いて見ると、翌日が「九月九(じゅうゆえじゅう)」だからあるかもしれない、と村の役所のほうに問い合わせてくれたが、今年は観光団が来ないのでやらない、との返事だった。

この侗人文化家園に日本から20人くらいの研修旅行の団体が来る予定だったのが、尖閣問題でキャンセルになってしまった、と残念そうであった。


この集落の家に厄除けだろうか、穴から覗く獅子があった。


高床式建物のの床下に棺桶がずらりと10棺以上並べてあった。


日向ぼっこのおじさん達。

 

この集落の後方の山を登っていくと、3つの集落を見渡せる。


川向うの3つ目の集落へ向う。

この集落にも鼓楼がある。

 

立派な「戯台」もあり、その前の広場では、「香米」を干していた。


もち米を干す家もある。


高床式倉庫。


おばさま達の頭の装いには色々なタイプがある。

 
 

集落の中心に市場があってそこにいたおばあさん。


市場の向かいの食堂で昼飯にする。

水槽にいる鯉を注文、1斤40RMBで、私が食べたのは一番小さいのを選んでもらって半斤。
ビールとご飯で〆て、30RMB。

 

バスに乗るときに、外注(点滴式注射)の子供を抱いたお母さんがやってきたのでパチリ。

ちなみに、普通の注射は「内注」という。


バスが発車するまで時間があって、運転手が話しかけてきて、闘牛節があるかと思って来たけど無いそうで残念だ、というようなことを言うと、明日は九月九だから「尚重(さんつぉん)」で闘牛がある、と教えてくれたので、翌日そこへ行くことにして、まずは黎平へ戻った。。


前日、この日の昼と魚を食べてうまかったので、夜は鮒を発酵させた、「腌鱼(あぁゆい)」を食べてみた。

本来の腌鱼は、米で発酵させて日本のなれずしと同じものだそうだが、凱里や肇兴で見たもの、そしてここで食べた腌鱼は唐辛子にも漬けてあってキムチのようだ。

ここで食べたものは、炭火で炙ってあって、香ばしさと、ほんのりとした酸味に発酵した旨味もあって辛味もあるのでご飯がすすむ。

腌鱼は28RMB、そのほかにポテトフライと例によって西紅柿蛋湯、ビール、ご飯で72RMB。



翌日の10月23日、闘牛を見に行こうと、「尚重」へ向かった。

7:15発の「徳化」行きで30RMB。

いくつも峠を越えて、やはり3時間かかって10:15に尚重着。

しかし、九月九には闘牛はない、と村人に教えてもらい、そこから何十kmかいったところである、とも教えてくれたが、そこまで行く気力は失せた。

思ったより小さな村で、闘牛がなくても一泊して村を散策すればいい、と思っていたが、村には農家旅館など宿泊できるところがない。


しょうがない、また黎平へ戻ろう、とバスを待つこと1時間、榕江行きのバスが先にやってきたのでそれに乗って、これも30RMB、3時間かかって榕江へ行く。

道中、景色がいいので退屈はしなかったが、この日は、バスに乗ってのドライブのみになってしまった。


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