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34 三江のお葬式
1月10日夜から雨が本格的に降り始め、翌11日も雨が降ったりやんだり。

ホテルの前の民家の前の歩道でで、1月8日に亡くなった人(張り紙によると、喪主のお母さんが74歳で亡くなったとのこと)を送る宴がはられていて、11日13時が出棺になっていて、朝はその準備がなされていた。


竹と蔓の葉で船を象った物を作っていた。

 

午前中は三江の街を散策して、お葬式のところへ戻ると、棺は綺麗に飾られていた。


船の上には、正に飛び立とうとしている鳥が配されている。


「鳥船」は、福岡県珍敷塚古墳の壁画などに見られるように、冥界への旅立ちのモチーフだ。

ただ、鳥越憲三郎、若林弘子著「弥生文化の源流考」によれば、下記のようにあるが、倭族である三江の侗族では鳥船は、「死者の霊を冥界へ運ぶ船」と考えたほうがよさそうだ。

「鳥の信仰は北方民族にもみられるが、彼らの鳥は死者の霊を天界に運ぶものとするのに対し、倭族では村人や家族を守護するために、神が天から降臨するときの乗り物と考えていることである。」


13時20分ごろ、棺の鳥船の前で葬儀が始まった。


 

立てられた幟には、亡くなった人の生まれた日と亡くなった日、家族の名前が書かれていて、中央の4文字のすべては読めないが、「帰仙、あの世へ帰る」と書かれている。


30分ほどで葬儀が済んで、13時40分ごろ爆竹を鳴らして棺を運ぶ行進が始まった。

 

出発してすぐに道路を占拠して棺をワッセワッセとゆすって暴れる。

日本の祭りでもお神輿をゆすって暴れたり、お神輿を地面に打ち付けたりするが、正にそんな感じで、「お神輿」というのは神様(その地の祖霊)のお葬式を模したものだなあと感じさせる。


そして、交差点を占拠して、棺を担いだ男たちが暴れまわる。


そして、一行は西の方角へ進んでいった。


街の若者が付いていこうと私の袖を引いたが、とりあえず私はここまでで、葬儀の場所にもどり、お供えはどんなだろうと見に行ったが、ここには肇興で見たような「姜公釣魚」などのお供えはなかった。


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