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32 平流村
翌、1月10日は、先日独峒へバスで行ったとき、その手前の村で風雨橋を修理しているのが見えたのでそこまで行ってみた。

風雨橋など侗族の木造建築は釘を使わないで木組みだけで作っている、ということで、瓦を載せる垂木はどうやってとめているんだろう、と興味があって、見に行った次第。

バスの発車には1時間近く間があったので、独峒行きの面包車で修理している橋のたもとまで行く(15RMB)


実際見てみると、垂木は釘でとめてあった。

 
 

橋の柱に、各作業の家族ごとの分担表が貼ってあった。


この村は「平流(ぴんりゅう)」という村で、とりあえず街道を村の一番上流側までいってから、下流へ向かって歩くことにした。

苗族のむらでは水牛はよく見たが、侗族の村では水牛を見かけるのは珍しい。


この村ではあちこちで堆肥を運ぶ姿が見られる。

 

2012年旧暦3月3日に行われた闘牛「三江大戦」のポスターが貼ってあった。


ゴミ収集車がきて、環境美化が実践されている。


耕運機もある。


街道から村の中に鼓楼が見えるので、村の中へ入っていく細い道を歩き始めた。


この鼓楼は、「三坝(さんばぁ)楼閣」とあった。

シンボルは、魚。


鼓楼の軒下には、絵馬のように三国志や水滸伝などから材をとった絵が掲げられている。

 

鼓楼の内は倉庫として使われている。

そこからさらに進むと、小さな鼓楼があった。


ここからすぐに初めに見た風雨橋にでて、街道を少し行くと、石を祀る小さな祠があった。

 

また街道を少し行くと、「佈公(ふこん)庙`」という廟があった。


鍵がかかっていて中には入れなかったが、そのためか、外壁にお参りしたあとの線香が何本も挿されている。


村の中心には大きな鼓楼と戯台があった。


鼓楼の中にテレビがあって、このときはちょうど日本軍が悪さをしているドラマをやっていた。


鼓楼の中は憩いの場になっていてテレビが設置してあるところは多くて、わたしの訪れるお昼の時間帯はよく日本軍(日本鬼子)が悪さをしているドラマをやっているところに出くわし、土地の人に、どこから来たの、と聞かれると、日本人、と答えるのはなかなかつらいものがある。

土地の人は、私が北京か香港からきた観光客と思って話しかけてくるのだが、私が日本人とわかると、少しとまどって離れていく。

離れていってくれるときはまだほっとするが、釣魚島(尖閣諸島)や歴史問題について議論をふきかけられてくることもしばしばあって、私のような幼児レベルの中国語では、とても話しにならないので、そんなときは、不明白(ぷみんぱい、(わかりません))と退散することにしていた。


戯台の天井には、太極紋と八卦、龍と鳳凰が描かれている。


村はずれの山に墓地があり、お墓は西南西に向いている。


お墓の一つに、瓢箪のなかにお魚型の太極紋と菱形、そして鳥に太陽と侗族のよく見るシンボルが凝縮してデザインされたものがあった。


平流の苗江の一番下流側に位置する村が平流の本村であるらしい。

村の上流側に小さな寨門がある。


寨門の内に土地神を祀っているのだろうか、火を燃やして参拝する場所がある。


村の中央には、立派な鼓楼と戯台がある。


鼓楼の内の火処は中央にあり、老年の憩いの場になっている。


戯台の屋根のシンボルは、瓢箪と龍。

瓢箪の中には太陽と菱形が見える。


新築の骨組みが完了したところで、「上梁式」があったようだ。

 

村の入り口に、村政府の「超級稲+稲田養殖」の成果を示す大きな看板があった。

2015年には、総生産量は36000kg、144万RMB(2800万円)に達するそうだ。


村の一番下流側に、風雨橋があり、「平流賜福橋」とあった。


ここからまた下流へ向かって歩く。


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