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16 凱里
翌10月26日、施洞から凱里へ戻り、午後はまた博物館を見に行った。

何度も博物館は訪れていたが、今回は、「百苗図」という本から、侗族の図がパネル掲示されているのを見つけ、そこには「蒲葵(くば)」が描かれている。


「蒲葵」は、沖縄では「神木」であることが吉野裕子氏の「祭りの原理」に詳しく語られている。

「蒲葵」は、「檳榔(びんろう)」や「棕櫚(しゅろ)」とも混同されるそうで、「古事記」「日本書紀」「延喜式」などの古典には「檳榔」として記載されているそうだ。

「春日権現験記絵巻(1309)」第7巻の尾張名古屋の熱田神宮社頭の図には、柵で鄭重にかこわれた左右二株の蒲葵が神木として描かれているそうで、海とのかかわりが深い海部氏である尾張氏との関りがみられて興味深い。

いずれにしろ、「越」の末裔の「侗族」を表す図に「檳榔・蒲葵」が描かれているのは、蒲葵が「越」すなわち「倭族」の神木とされていたことを表しているようで興味深い。


また、侗族の家屋内の再現展示は、囲炉裏のある正に日本の農家と同じではないか。


施洞」で行われる「竜舟節」の写真。


博物館を出て、市内から、凱里の鉄道駅へ向かう道路脇に洞窟が見えるので、気になっていたので行ってみた。


洞窟の入口には、2つの石碑が祀られている。
 
 

洞窟の中には、あちらこちらに小さな祠にいろいろな神様・仏様が祀られている。

 
 

鶏の羽が貼り付けられた像もある。

 

夜は、1斤(500g)で40RMB、1.4kgのナマズを食べて今回の旅は終了、翌27日、寝台車で義烏へ向った。