表紙 / 弥生の原郷を訪ねて / 2回目の貴州 / 13 黎平

13 黎平
翌10月21日朝、貴州の東南地区の祭りについてまとめられたガイドブックに旧暦9月10日に黎平近くの「岩洞(ゆぁんどん)」というところで闘牛節があるとでていたので見に行くことにして、まずは黎平へ移動した。


榕江から黎平まで30RMB。

今度の旅で、地方のバスはいくつも山を越えて、10RMB当たり、おおよそ1時間、30kmの法則をみつけた。

そんなわけで、榕江から黎平まで30RMBなので3時間かかることを覚悟した。

黎平には11時ごろ到着、またバスセンター近くの賓館を探してチェックイン(120RMB)。
今回の旅では一番高い宿であったが、設備は3星級並で不満はない。


黎平は唐宋の時代から鎮守府が設置され、明清の時代には商業の中心地として栄えたそうで、「翘街(ちぁおじえ)」という旧市街地をぶらついた。。

 

翘街というのは、中間が平坦で両側が羽が開いているように上がっているのでこの名がついたそうだ。


1934年12月18日に紅軍が長征の途中ここで「黎平会議」を開いて、「中央政治局関干戦略方針之決議」を決定したことでも有名だそうで、「黎平会議会址」もある。

ただ、黎平会議会址の建物は、内部が傷んで改修工事のため閉まっていて、10月1日に再開されるとかかれていたがまだ開放されていなかった。


毛沢東が住んでいたという家もあり、けっこう大きなお屋敷であった。

 

禹王宮などがあるという「两湖会館」があるが、ここも閉まっていて中には入れなかった。


これらの建物は翘街の中心部に集まっていて、そのなかに「福音堂」という教会もある。


中に入ると正面に石造の沖縄でいうところのいわゆる「ヒンプン」がある。


街路には、「石敢当」もあった。


井戸の脇には小さな祠が祀られている。

 

翘街のはずれに東門があり、その脇には土地神が祀られている。

 

門の上に上る石段の途中にも瓦を使った小さな祠があった。


街を歩くと、門口には、いろいろな厄除けが掲げられているのに出会う。


以前、義烏でも見たことがあるザルと鏡とハサミを組み合わせた厄除けも掲げられている。

ただ、義烏の場合はこの三つの組み合わせに「定規」が加わる。


苗族の家の外で亡くなった人を弔う祭壇のある家もあった。

 

家々の入口正面にはご先祖様を祀る祭壇がある。

 

「卯建(うだつ)」の街並みが美しい。

 

屋根の群れも美しい。


日本の神社の御神体の「鏡」のような意匠を施した建物があった。


古い街で、建物には色々な意匠が施されている。
 
 

「シーサー(獅子)」も見られる。

 

中には入れなかったが「太陽城」と額の掛かった「廟」のような建物もあった。


そこのシンボルは「壺」。


街のあちらこちらで、中国将棋や麻雀をやっている。

 

日本でもみるような「周易」の張り紙もあった。


横丁に入ると機械で刺繍をする工場があった。


「線米」を干す家もある。


道端でドングリを3斤(1.5kg)10RMBで売っていて、けっこう売れている。


新しくできた公園には、立派な「鼓楼」が建っていた。


夜、賓館近くの食堂で、鮒の炭焼きを食べた。

鮒の身と馬蟻菜(まぁいぃさい)と魚星草(ゆいしんつぁお)という薬味(本来はこれに唐辛子が加わるが私は唐辛子はぬいてもらった)とを民国菜(みんぐおさい)という葉っぱで包んで食べる。

旨い。

鮒が40RMBで、これに西紅柿蛋湯とビールとご飯そしてサービスの炒ったトウモロコシで、〆て60RMB。

この香りはどこかでかいだ経験があるなあと思って、後で気が付いたが、「魚星草」というのは、ドクダミの根っこであった。


14 岩洞・ 尚重 へ