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05 榕江
貴州での4日目、8月31日に凱里から南へ約150kmに位置する「榕江(ろんじゃん)」へ向った。

凱里博物館で、榕江近くの「摆贝(ばいべい)」という村で、「鼓蔵節(くぅつぁんじえ)」という13年に1度行われる大祭の写真を見て、現地へ行って次はいつあるのか確認してこようと思った。

ガイドブックには、榕江までバスで6時間半かかると書かれていて、これは日帰りは無理と判断して、榕江近くの侗族(とんすぅ)の村、「車江三宝侗寨(ちょぅじゃんさんぱおとんざい)」があるので、そこで2泊することにした。

しかし、バスは高速道路を通るようになり、3時間半で榕江に着いた。


榕江のバスセンター前でタクシーに乗り15分ほどで「車江三宝侗寨」につき(25RMB)、この村を象徴する鼓楼(くぅろう)のすぐ近くの農家旅館(冷房付1泊60RMB)に落ち着いた。

この村は川沿いの平地にあり、山中の苗族の村とは雰囲気が異なる。

写真の右手の3階建て木造家屋がその旅館。

車江は、榕江の北2kmに位置して、約2400戸、15000人ほどのけっこう大きな村だ。

侗族の村は、「鼓楼(くぅろう)」という塔がシンボルで、写真の鼓楼は、2000年に建てられたもので、「三宝鼓楼」と呼ばれ、21層、高さは36.8m。

21層あるのは、侗族の人々が良い21世紀を迎えることができるように、との願いがこめられているそうだ。

摆贝へは次の日に行くことにして、昼時についたのでとりあえず飯にしようと思ったが、近くに食堂がなくて、川向こうにあるよ、とのことでその農家料理店へ向かう。


昼は、牛肉炒め、五月豆炒めとビールで、35元。


昼食後は、村をぶらつくことにして、まずは橋の脇に多分土地神を祀っていると思われる、日本で言えば道祖神のような石像を祀る小さな祠をみつけた。


苗族のむらでは「石」を祀ってあったが、侗族の村では「夫婦神像」が祀られている。


別のところでも同じような祠があった。

 

川べりには大きな榕樹(ガジュマル)の木が並び、榕樹もまた祀られている。

 

しかし、根元の祠には神像はなく、神銭が燃やされた跡がある。


石だけが祀ってある祠もあった。


さすがに「榕江」、ガジュマルの巨木が川べりに並び美しい。


村の入口にも大きな榕樹がある。


鼓楼のある広場は川沿いにひろがる村の真ん中にあり、私の泊った旅館の向かいに侗族の祖先神の女神である「萨玛(さぁまぁ)」を祀る廟がある。


廟の本殿の内に、ご神体が祀られている。


私は、このころ「蛇」「祭りの原理」など、吉野裕子氏の一連の著作にはまっていて、この旅の始りの義烏から凱里への夜行列車でも「祭りの原理」を読んだところだった。

吉野裕子氏が著述している様々な事象が、この旅で目の前に現れてきたが、このご神体には衝撃をうけた。

正に女体を象徴している円錐形の山に、男根の象徴たる蛇の頭を模した半開きの傘が刺さっている様は、氏のいう性交を擬いた「葬送儀礼」そのものだ。

この「萨玛」との出会いが、私が侗族にのめり込むきっかけになった。


女神たる萨玛のシンボルは「壺」で、明らかに女陰の象徴だろう。


萨玛祠に隣接した祠には、民間信仰の、子を授かり、健康に生長するように祈願する「送子娘娘(そんつぅにゃんにゃん)」が祀られていた。


村の中には吊脚楼や石造の建物も多いが、本来は平屋が多かったんじゃないかと感じた。


門口の魔除けは、苗族とは違って道教のお札と思われるものを貼っているところが多い。

 

何やら、束ねたものを掲げている家も多い。


鏡とハサミの組み合わせは、義烏でも見たが、鏡と剣に通じるのだろうか?


「鬼」とかかれて、手形のようなものが押された板が門の横に掲げられているのを見つけたが、これも魔除けだろうか。


村の中をさまよっていて、「頼家大院」に行き当たる。


門の上にあるシンボルは、「太極」。


門の前に置かれた狛犬

 
 

大院内のご先祖を祀る祭壇。


この村では「綿」を栽培しての綿織物が盛んであるようだ。

 
 

また違う橋を渡って川向こうへ行く


電気棒を突いて漁をしている。


養魚池のほとりに高床建物があった。


川向こうは建築中の家が多く、現在開発中であるらしい。

建築中の家はみな吊脚楼式で、その骨格がよくわかる。


新築中の梁や柱には、厄除けのお札が貼られている。


新築の家の屋根に、鳥の飾り瓦をみつけた。


晩飯は榕江の街中へ出てみたが、これといった店はなく、「ばお仔飯」の看板を出している店があったので、そこで食べることにした。


ご飯は土鍋で炊いていて、けっこう美味い(5元)。

炒め物のおかずと、〆て20元。


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