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02 三星堆博物館
5月19日、成都2日目、朝7時、念願の三星堆博物館へ向った。

まずはタクシーで成都から北方向へ向うバスセンターの「城北客運中心」へ向う(9元)。


バスセンターへ行けば朝飯は食べれるだろうと思っていたが、食物屋がないので、近くの汽車駅のほうへ歩いていくと「徳克士(docos)」というチキンバーガーのファストフード店があったので、朝食メニューの「活力鶏肉腸蛋堡(チキンバーガー;8元)とコーヒー(6.5元)で腹ごしらえする。


バスセンターの案内所で「三星堆博物館へ行きたい」というと、「切符売り場でそういって切符を買ってバスに乗れば5分で着く」とのこと。

しかし、これは私の聞き違いで、「5分後に発車する。」ということであったらしい。

とにかくその時は、そんなに近いのか、と切符(16元)を買って「什邡(しぇんふぁん)」行きのバスに乗り、バスはのろのろ30-40km/hで進み、1時間たっても目的地につかないので車掌さんに、「三星堆博物館はまだ遠いのか」と聞くと「まだ」との返事で、とりあえずは乗り過ごしてはいないと安心して、それから30分、結局1時間半で、博物館の前に着きバスを降りる。


正面に青銅仮面のモニュメント


入場料は、一般は82元だが、売り場の女の子が「あなたは60歳以上ですか」と聞くので、「今年60歳になった」と答えると、「身分証をみせてください」というので、パスポートをみせると、なんと42元で入場できた。
年をとるのも悪くはない。


展示館は、「総合館」と「青銅館」に分かれていて、まずは「総合館」に入る。

総合館には、膨大な数の土器・玉器・青銅器などが陳列されている。

入って正面に「蜀」の文字の成り立ちのパネル。
「蜀」といのは、「大きな目の長い虫」を表し、「蚕」を表しているらしい。

四川省は「巴蜀の地」といわれ、「巴」は重慶、「蜀」は成都なんだそうだ。


三星堆遺跡文化は、4期に分けられ、新石器時代晩期(4800年前)~春秋早中期(2600年前)にわたる。


総合館には、膨大な数の土器・玉器・青銅器などが陳列されている。

第1期は、今から4800~4000年前。

この期の文化は、当地の独特のものに加えて、石家河文化と良渚文化の様式の玉器と陶器も見られる。

 
 

住居は、「高床式住居」。


繁栄期である2・3期(今から約4000年~3200年前)。

長江上流域の文明中心をなし、冶鋳技術、加工工芸技術が成熟し、古蜀国の宗教儀礼・祭祀制度も出来上がっていた。

 
 
 
 

衰退期の4期(今から3200年~2600年前)。

この地の自然条件か人的条件かで文化は衰退して、南へ移動する。

2001年、成都市内で「金沙遺跡」が発見され、南進が証明された。



土器に見られる符号で蜀の文字か?

 

良渚文化のように、玉琮・玉壁・玉璋など、玉器の展示も多い。

 

総合館の最後の部屋には、高さ約4mの青銅製の1号「神樹」が立ち、圧倒される。


中国の古典神話伝説にある「神木」は、東海の日の出るところにあるという「扶桑」、中央にある「建木」、そして西方にある「若木」があり、この神木は大地の中央にある世界の中心として、扶桑と建木などの神樹の複合型と考えられている。

この神樹は「通天」、すなわち大地の中心にあり、「天」へ上る梯子を表している。


2号神樹

 
 


総合館を出て、「祭祀台」へ向う。

祭祀台には、「青銅立人像」の複製が立っている。

この祭祀台は、商末周初の古蜀時代の四角形で3層の祭祀場を再現したもの。


そして、青銅館へ。

入ってすぐ正面に、発掘された「青銅面具」のなかで最大のものが置かれている。
大きさは、高さ72cm、巾132cm。

 
 

そして、私が最も感動した蟹のような突出した目を持ち、額に「龍尾」の飾りのついた「青銅戴冠縦目面具」。
高さ82.5cn、巾78cm。

 
 

青銅館には、大小様々な面具や金箔を施された「人頭像」などが陳列されている。


これらの人頭像は、東洋人の顔とは思えない。

 
 
 
 
 
 
 
 

「神殿」像。

 
 

「蛇」像。

龍や蛇の造形も多い。

 
 

青銅「太陽輪」。

 
 

これも「太陽」の紋か。

 
 

この神樹の展示の上方天井に「三つ巴」の紋を見つけた。


陳列物の鑑賞に堪能してすでに午後1時、青銅館の裏手にある餐庁で昼食にした。
亜熱帯の樹木に覆われた庭で食べることにする。


メニューをみると、成都名物の「夫妻肺片」と「鐘水餃」があったのでそれとビールをたのむ。

「鐘水餃」は、茹でた餃子にラー油がかけてあって旨い。


「夫妻肺片」は、牛の頭皮でプルプルした半透明の歯ごたえのあるコラーゲンの塊りといった感じの肉片や舌の薄切りなどにラー油と香菜がかかり、べらぼーに旨い。

ビールもすすんで大瓶2本。〆て52元(800円ほど)。

この後、毎日夕食には夫妻肺片とビールは定番になった。


昼食後、餐庁の裏手のほうへの「遺跡区」の道標があったので行ってみたが、まだ工事中で、遺跡の様子は見ることができなかった。

博物館の庭を散歩してから博物館前の道路沿いでバスを待ち、15時ごろバスに乗って帰る。


夜はガイドブックでみつけた「鐘水餃」という店で、これも成都名物の「龍抄手」というのを食べに行く。


「龍抄手」というのは、スープに入った水餃子であった。


ここでは、あと、鳩のスープと胡瓜、ビール1本で40元ほど。

 
 

この店は、「小吃」を作るトレーニングセンターにもなっているようだ。


また満腹して、1時間ばかり歩いてホテルへ戻った。


03 金沙遺跡博物館 へ