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明けましておめでとうございます。 今年も無事新年を迎えることができました。 写真の「馬」は、2012年9月1日、中国貴州省の苗族の村「摆贝(ばいべい)」で出会った荷役のお馬さんです。 昨年もガザでの民間人の殺戮や、ウクライナ戦線での、召集された貧しい少数民族や低所得者、それでは足らずに北朝鮮などから集めた前線兵士の命を消耗品のように扱う権力者たちの暴挙が続いています。 年を追って、世の中はいったいどうなっているんだ、という思いが募っていきます。 「80年間続いた幸せな戦間期」は終わろうとしているのでしょうか。 一昨年、ユヴァル・ノア・ハラリ著の「サピエンス全史 上・下」という本に出会い、そこでは人間が今ある世界をどのように作り上げてきたのか、という歴史を解き明かしてくれました。 そして、昨年は同じ著者の、人類の今ある姿がなぜこうなのかを解き明かしてくれる「21 Lessons」を読みました。 「幻滅」「雇用」「自由」「平等」「コミュニティ」「文明」「ナショナリズム」「宗教」「移民」「テロ」「戦争」「謙虚さ」「神」「世俗主義」「無知」「正義」「ポスト・トゥルース」「SF」「教育」「意味」「瞑想」と、21の課題について述べられます。 象徴的なのは、第1章「幻滅(先送りにされた「歴史の終わり」)」から始まることです。 「人間は、ファシズム、共産主義、自由主義という3つの物語を考え出し、第二次世界大戦でファシズムが打ち負かされ、1940年代後期から80年代後期にかけて共産主義と自由主義という物語の戦場と化し、やがて共産主義の物語が破綻して、自由主義の物語が、人間の過去への主要なガイド兼、世界の将来への不可欠の手引きとして後に残されたーーいや、グローバルなエリート層にはそう思えた。 ところが、2008年のグローバルな金融危機以来、世界中の人々が自由主義の物語にしだいに幻滅するようになった。壁やファイアウォールの人気が回復した。移民や貿易協定への抵抗が強まっている。表向きは民主主義の政府が、司法制度の独立性を損なったり、報道の自由を制限したり、いかなる反政府運動も叛逆呼ばわりしている。トルコやロシアのような国の独裁者は、新しい種類の非自由主義的民主主義やあからさまな独裁制を試している。今日、中国共産党が歴史の流れに逆行していると自信を持って言い切れる人はほとんどいないだろう。 イギリスでは国民投票でEU離脱が是認され、アメリカではドナルド・トランプが大統領に選出された2016年は、この幻滅のうねりが西ヨーロッパと北アメリカの中核的な自由主義国にまで達したことを告げる年となった。」 「産業革命の大変動が20世紀の新しいイデオロギーの誕生につながったのとちょうど同じで、来るべきバイオテクノロジーとITの革命も斬新なバージョンを必要としそうだ。だから今後の数十年間は、真剣に内省を行い、新しい社会モデルや政治モデルを考案する時代になるかもしれない。自由主義は、1930年代と60年代の危機の後にしたように、またしても自らを作り直し、かつてないほど魅力的になって蘇ることができるだろうか? 伝統的な宗教やナショナリズムは、自由主義者が思いつかないような答えを提供しうるだろうか? そして古来の叡智を活かして、現代にふさわしい世界観を作り上げることができるだろうか? それともひょっとしたら、過去ときっぱり訣別し、古い神々や国家ばかりか、自由と平等という現代の核心的な価値観さえも超越する、完全に新しい物語を生み出す時が来たのだろうか? 現時点では、人類はこうした疑問に関して合意に達するには程遠い。人々が古い物語への信頼を失ったものの、新しい物語はまだ採用していない。幻滅と怒りに満ちた虚無的な時期に、私たちは依然としてある。」 第二次大戦後の平和教育で育ち、ぬくぬくと生きてこれた身にとっては現在の状況には戸惑うばかりです。 1年生き延びたおかげで、色々な本を読んだり、衛星放送やDVDで映画やドキュメンタリーを観ることができました。 井沢元彦著「逆説の日本史27、韓国併合と大逆事件」を読んでいて、大逆事件で権力によって虐殺された幸徳秋水著「二十世紀の怪物、帝国主義」という本に出合い、Kindleで検索してみると、課金内で読むことができました。 1901年の出版で125年も前の著作だけれど、その内容は現在の状況によくあてはまり、本当に歴史は繰り返しているんだなあ、と思います。 「まえがき」に続いて「愛国心を論ずる」と続きます。 「帝国主義は『愛国心』を経(たていと)とし、「軍国主義」を緯(よこいと)として、織りなされた政策ではないだろうか。少なくとも愛国心と軍国主義は、多くの国の現在の帝国主義に共通する条件ではないだろうか。だから、わたしはこう言いたいのだ。『帝国主義の是非と利害を判断しようとすれば、まず『愛国心』と『軍国主義』をよく吟味しなければならない。」 「愛国心が愛するのは、自国の土地に限られ、自国の民に限られているからだ。他国を愛さず、うわべだけで中味のない名誉を愛し、自分や自国の利益を独占することを愛するのだ、こんな心、こんな行為を、すべての人々のためのものといえるだろうか。私心がないといえるのか。」 「愛国教育」は、支配者が好むところで、今、世界中の国々で愛国教育がなされているようです。 私など高齢者は、第二次大戦後の反省の中で行われた「平和教育」で育ち、「反戦」「世界は一つ」「Love & Peace」で生きてきたけれど、どうもこのところ日本も「Japan First」、愛国心を煽られているように感じて違和感を感じています。 日本での「平和教育」がいつから「愛国教育」に変わったんだろうとChatGPTに聞いてみると、 「日本の『平和教育』が『愛国教育』へと傾き始めたのは、2000年代半ば以降(特に2006年ごろ)からです。以下の流れで変化していきました。 ●戦後すぐ〜1970年代:平和教育の時代 • 第二次世界大戦後、日本は憲法第9条を背景に「二度と戦争を起こさない」という理念のもと、平和主義・民主主義教育を中心とした教育方針を採用しました。 • 教科書では「戦争の悲惨さ」「個人の尊重」「基本的人権」が強調され、「国家」よりも「個人」を重んじる教育が主流でした。 ●1980〜1990年代:愛国的教育の萌芽 • 1980年代に入り、保守派政治家の間で「自虐史観」という批判が出始めます。 • 1999年には「国旗及び国歌に関する法律」が制定され、学校で日の丸・君が代を扱うことが義務化。 → これが実質的に「愛国心教育」への第一歩とされています。 • 同時期に文部省(現・文部科学省)の学習指導要領でも「伝統と文化の尊重」「国を愛する態度」などの文言が加えられました。 ●2006年:教育基本法改正(転換点) • 小泉政権下で教育基本法が戦後初めて改正され、「愛国心」に関する文言が正式に盛り込まれました。 改正後の第2条には次のように明記されています:「我が国と郷土を愛する態度を養うこと」 • これが明確に「平和教育中心」から「愛国教育中心」への政策的転換点とされています。 ●その後(2010年代〜現在) • 教科書検定基準や学習指導要領の改定で、「我が国の伝統と文化」「公共心」「国を愛する態度」などの表現が増加。 • 安倍政権期(2012〜2020)には、戦前の教育勅語を評価する発言も一部政治家から出るなど、愛国的教育の流れがさらに強まりました。」 なるほど、2006年以降の愛国教育を受けた子供たちが今20~30代の若者たちで、若者たちが右傾化しているのは、愛国教育によって支配者たちの目論見がまんまと達成されてきたんだなあ、と思いました。 |
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| 紙の爆弾2025年4月号、孫崎亨著「米ロ『諜報戦』の実相」では、権力者たちにとって、庶民の命などは、自分たちの欲望を満たすためには使い捨てにするのが当然と考えていることがよくわかりました。 「国家組織による諜報活動の『反モラル』について殺人も厭わないとはどういうことか。それは言い換えれば、『戦略的利益を得るために何人までの人的犠牲が許容されるか』を極めて冷静に設定する、ということです。」 「ロシア・ウクライナ戦争の死者数が両軍を合わせ20万人以上と推計されても、停戦すべきとはなりません。それと同様、国家が”正義”とするものの価値に対して何人までの死が許容されるか。それが諜報活動の『反モラル』なのです。」 「ロシアが戦争に向かった背景には、NATOによる東方拡大の挑発とともに、ウクライナ東南部でロシア系住民に対し、アゾフ連隊などによる万単位の殺害が起きたことがあります。ここでも、先ほどの諜報的な考え方がでてきます。相手国に対する仕掛けには、民間人の死が付随し、何人までの死なら許容されるという「基準」があるのです。『テロとの戦い』も同じで、正義を振りかざして行うオペレーションにおいては、テロ指導者一人の暗殺に対してそれ以上の民間人の死が発生します。しかし、彼らにとって『価値に見合う』ことなのです。」 この雑誌の記事から知った、同じ著者の本も読みました。 孫崎亨著「戦後史の正体」 「日本人にとって占領時代とはなんだったか、外務省の与謝野局長はそれを『格子なき牢獄』だと表現しています。」 「私は江藤淳の言葉にびっくりしました。江藤淳は「戦前の軍部よりも占領時代の方が自由がなかった」といっているのです。 おそらく「それはちがう。戦前よりも自由があった」という人がいると思います。 そうです。それも正しいのです。米国の方針にそった発言をする人々には大きな自由がありました。しかし、自由とは、特定の信条をもつ人にはあたえられ、信条の異なるものからはとりあげられるというものではないはずです。」 これを読んだとき、心にずっと引っかかっていた、私が初めて中国で生活を始めたとき、不自由なはずの国でのこの開放感、なんて自由な国だろう、と感じたことの答えが見つかりました。 政治的なことには関与しないで、その国の体制の中で「お利口さん」にしていれば、政治的には不自由な国でも、2000年当時の中国は改革開放で何でもありの世の中だったので、日々の生活は自由に生きられたんだな。 岡林信康さんが「それで自由になったのかい」で歌う、「あんたの言ってる自由なんて、豚箱の中の自由さ」を満喫していたんだろう、と思う。 同じ本の「おわりに」に、戦後の首相たちを「自主」と「対米追随」という観点から分類して述べています。 「こうした分類で見ると、長期政権となった吉田茂、池田勇人、中曽根康弘、小泉純一郎の各首相は、いずれも「対米追随」のグループに属しています。 年代的に見ると1990年代以降、積極的な自主派はほとんどいません。細川と鳩山という、自民党から政権を奪った首相が二人いるだけです。しかもどちらも9か月弱という、きわめて短命な政権に終わりました。それ以前の歴史を見ても、いわゆる「自主派」と見られる首相は、佐藤首相をのぞいて、だいたい米国の関与によって短期政権に終わっています。 ここで指摘しておきたいのは、占領期以降、日本社会のなかに「自主派」の首相を引きずり下ろし、「対米追随派」にすげかえるためのシステムが埋め込まれているということです。 ひとつは検察です。なかでも特捜部はしばしば政治家を起訴してきました。この特捜部の前身はGHQの指揮下にあった「隠匿退蔵物資事件特捜部」です。終戦後、日本人が隠した「お宝」を探し出しGHQに差し出すのがその役目でした。したがって検察特捜部は、創設当初からどの組織よりも米国と密接な関係を維持してきました。 次に報道です。米国は政治を運営するなかでマスコミの役割を強く認識しています。占領期から今日まで、米国は日本の大手マスコミのなかに「米国と特別な関係をもつ人々」を育成してきました。占領時代はしかたなかったかもしれません。しかし今日もまだ続いているのは異常です。さらには外務省、防衛省、財務省、大学などのなかにも、「米国と特別な関係をもつ人びと」が育成されています。 そうしたシステムのなか、自主派の政治家を追い落とすパターンもいくつかに分類できます。 (6つのシステムが述べられ、) この6つのパターンのいずれにおいても、大手マスコミが連動して、それぞれの首相に反対する強力なキャンペーンを行っています。今回、戦後70年の歴史をふり返ってみて、改めてマスコミが日本の政変に深く関与している事実を知りました。」 6つのパターンのうち、2番目にあるのが、 ②検察が起訴し、マスコミが大々的に報道し、政治生命を絶つ 芦田均、田中角栄、少し異色ですが小沢一郎 なるほど、安倍元首相がどうしてあんなに長期政権になったのか、米国(トランプ)に徹底的に追随したからなんだなあ。 そういえば、中曽根、小泉、安倍の元首相は、米国の大統領と、お互いをファーストネームで呼び合い、親密さを自慢していたなあ。 |
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| 中川右介著「巣鴨プリズンから帰ってきた男たち、A級戦犯たちの戦後史」では、戦前に政財界の中心にいたA級戦犯たちが戦後もまた政財界の中心に居座っていることを教えてくれました。 その「あとがき」に、 「敗戦の結果、A級戦犯容疑者指名、公職追放指名によって戦前・戦中の要職にあった者の多くが失脚し、それによって日本は新しい国になったはずだったが、10年かけて、戦前勢力は復権した。東西冷戦の激化によるアメリカの対日政策の転換という要素も大きいが、結局、日本の政治・行政は戦前からずっと同じ人脈でつながっている。 (14人の政治家がリストアップされて)、 逮捕された百余名のうち14名が国会議員となり、そのうち8名が大臣になったのである。安倍源基のように、国会議員にはなれなくても自民党への影響力を持ち続けた者もいる。経済界で復帰したものも多い。 彼らが「戦争犯罪人」であったかどうかは、「戦争犯罪」とは何かという定義からして議論があるので、ここでは触れない。ただ、どう考えても彼らには国家の要職にあったのだから日本を破滅に追いやった責任はある。それなのに「公職追放」で数年間、蟄居せざるをえなかった程度で、法的な過失責任を問われることはなかった。「戦争犯罪」論争によって「戦争責任」のほうがうやむやになったのである。 自民党結党時に政治家だった者はもういないが、彼らの子や孫が国会での議席を世襲している。・・・・・・。 ひとつ例にすれば、55ページの家系図にあるように、岸信介の弟(佐藤栄作)と孫(安倍晋三)が内閣総理大臣になり、この一族三人の総理大臣在職日数の合計は、7227日で約20年になる。岸と対立していたように見える吉田茂を源流とする「宏池会」の歴代の総理大臣は、吉田の孫の麻生太郎だけでなく、鈴木善幸、宮澤喜一、岸田文雄たちも親戚である。この5人の在職日数の合計は5576日で約15年。 そしてすでに本書で何度か記したように、対立しているように見えた岸と吉田は親戚である。この巨大ファミリーから8人が総理大臣になり、その在職日数は35年、戦後80年分の半分近くとなる。 岸と吉田は親戚というだけでなく、岸の実弟・佐藤栄作が吉田茂の側近中の側近なので、佐藤を結節点としてもつながっていた。そして彼らは東京帝国大学法学部卒業というエリートであり、裕福な家の出身だ。戦前の権力構造は敗戦によって瓦解したように見えたが、そうではなかったのである。」 敗戦時のどさくさに私腹を肥やした面々がいたことは、広瀬隆著「日本近現代史入門、黒い人脈と金脈」に詳しく述べられている。 「のちに大蔵大臣石橋湛山が明らかにした「1948年9月現在の行方不明物資」は総額1000億円(現在の約20兆円)に達した。軍人だけでなく、戦時中に軍需省などの官吏と裏でつるんでいた商人も、払い下げ物資の処分を打診され、資材を運び出す世紀の大強盗が、米軍が進駐してくる日まで白昼堂々と連日横行し、それが深夜におよぶまで行われた。明治維新における薩摩・長州の維新の志士たちが、幕府の巨大な財産をくすねたのとまったく同じ火事場泥棒であった。こうした物資を預かる軍需省の親分だったのが、軍需次官だった岸信介や、次の内閣で軍需大臣となった中島飛行機の中島知久平たちであり、莫大なヤミ物資が換金されて、戦後の政界に流れた。・・・・・・・・ こうして明治維新と瓜二つ、維新の志士の思想を受け継いだ野卑な人間たちによって、またしても政変にまぎれて膨大な国民資産が盗まれ、そのため全国民が深刻な飢餓の時代に投げ込まれたのである。」 同じ広瀬隆著「一本の鎖、地球の運命を握る者たち」では、市民運動がなかなか世の中を変えることができないのはなぜかを教えてくれた。 「本来は、反戦デモのような世界の良識的行動が殺戮をただちにやめさせなければならないはずである。ところが、一向にその実効が得られないままだ。それは”良識派”という集団に、人間として致命的な、重大な欠陥があるからなのだ。彼らは、人生のなかで大きな金銭欲を否定するため、自分自身には大抵、ほぼ百パーセント大金がなく、始末の悪いことにそれを誇りにさえ思っているのである。 そこで世界の民主主義制度なるものの状況に目をやると、それはただ数の多いほうが勝ちという多数決主義に堕落している。至るところ、選挙制度は大きな資金にしばられた悪質な組織的活動と、利権と無知によって支配される仕組みができあがっており、良識派が獲得できる得票数は、可能性として最大三分の一がよいところである。現実には十分の一に満たない場合が多い。すなわち、「良識+大金」というメカニズムがなければ、多くの人のささやかな願望はいつまでも満たされないのである。」 「人生のなかで大きな金銭欲を否定するため、自分自身には大抵、ほぼ百パーセント大金がなく、始末の悪いことにそれを誇りにさえ思っているのである。」 私が良識派であるかどうかはわからないが、この言葉は心に刺さった。 軍国主義の世の中では、国民というのは軍人と資本家と官吏であり、資本主義の世の中では、国民というのは資本家と投資家であって、どんな世の中でも庶民は、税金を取り立てられて、戦争があれば前線へ送られて消耗品とされるもので、支配者は、庶民に「お国のため」は求めるけれども、支配者の言う「国民のため」という対象には入っていないんだろうなあ、と思う。 ここで、これも50年以上前の歌、加川良さんの「教訓 I」 |
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| 昨年観た映画のベスト1は、日本映画の「正体」とさせていただきます。 映画のラスト近く、主人公を追ってきた刑事が主人公に問います。 「一つ、まだ答えを聞いてないことがあった。どうして逃げたんだ?」 そして場面は変わりますが、それに答えるところで、 「信じたかったんです。この世界を。 正しいことを、正しいって主張すれば、信じてくれる人がいるって・・・・・・・・。 外にでてから、生まれて初めて仕事をして、生まれて初めてお酒を飲んで、友達ができて、人を好きになりました。 生きててよかったって思いました。そして、もっと生きたいって思いました。」 涙なくしては観れない場面でした(歳をとると、やたらと涙もろくなります)。 袴田さんなど、冤罪で死刑判決を受けて、何十年も刑務所に入れられ、再審で無罪になった人たちのことも思い浮かび、涙が止まりませんでした。 |
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| 今年の干支の「馬」にちなんだ中国の歌は、田震さんの「干杯朋友」。 遠くへ旅立つ友を乾杯で送る歌です。 旅といえば、馬に跨り旅立つイメージです。 |
「跨って」旅に出る歌で好きなのは、友部正人さんの「長崎慕情」。 「もつれた足を夜汽車に跨せて、一晩眠ればもう長崎・・・・・・・・」 |
この歌の入った「にんじん」というLPレコードを買って聴いていたころ、通っていた大学が春休み前の2月下旬から無期限ストライキに入って、かねてから春休みには九州へ自転車旅行に出ようと思っていたので、どうなることかと学生大会へも顔を出して様子をみていたけど、ストは続きそうだと判断して、予定通り旅に出ることにしました。 実家の名古屋から予め自転車は日通貨物で下関駅留めで送っておいて、私も「もつれた足を夜汽車に跨がせて一晩眠ればもう下関」、と旅にでました。 下関からはツーリング自転車にテントと飯盒を載せて、今度は「もつれた足を自転車に跨がせて」25日間の九州一周の旅を楽しみました。 最後は鹿児島から名古屋行きの「サンフラワー・フェリー」に跨って、途中、高知で一時寄港があり、桂浜で龍馬さんにも対面しました。 名古屋港に着いて、実家に電話すると、大学は無期限ストライキは解除されて、すでに授業が始まっているとのこと。 あわてて東京へ帰り、すでに1学年の期末テストは終わっているとのことで、各教科の先生方にお願いして追試験をしてもらい、無事1学年の単位をとることができました。 色々楽しかった大学生時代の思い出の一つです。 今は、軽自動車にもつれた足を跨がせて、車中泊で旅を楽しんでいます。 Bob Dylanが「My Back Pages」で、 「Ah, but I was so much older then, I'm younger than that now.」 (ああ、私はあの頃ずっと年老いていて、いまは、あの頃よりずっと若いんだ。) と歌い、 「Foever young(永遠に若く)」と歌っています。 坂口安吾は、「青春論」で、「70過ぎて、青春というのも切ないものがある」というようなことを言っていますが、私はまだ落ち着きのない青春を続けているようです。 みうらじゅん氏のいうところの「アウト老」だな。 |
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| さて、今年は私にはまた大きな転換があって、2月から沖縄の久米島で車エビの稚エビつくりの仕事に就くことになりました。 私にとって、本格的なエビ人生の始まった沖縄で、また原点に戻っての仕事ができることは、幸せな事だと思います。 人生の多分最後の一仕事を花道で飾れるように頑張ってみましょう。 流れ流れて久米島に辿り着き、花を咲かせることができますように、と喜納昌吉さんの「花」で今年を始めます。 |
皆さまも今年も無事過ごすことができますように。 |
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