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09 桧原神社~箸墓古墳
桧原神社(ひばらじんじゃ)も本殿がなく、そのうえに拝殿もなく、三鳥居のみの原初的な形態の神社であり、大物主と天照大神が共に祀られていたときに、大物主が不快として祟り、天照大神がこの桧原神社の笠縫邑(かさぬいむら)に移されて祀られ、その後伊勢に移ることになるので、この地を「元伊勢」というそうだ。

 

いまの祭神は、靏井忠義著「日本書紀の山辺道」によると、天照大神ではなく、天照若御魂神(あまてらすわかみたまかみ)、伊奘諸尊(いざなぎのみこと)、伊奘冊尊(いざなみのみこと)であるそうだ。

左横に崇神天皇の命で天照大神をこの地に祀った、皇女「豊鍬入姫」も祀られている。

 

雨も強くなり、ちょうど桧原神社の目の前の茶屋があったので雨宿りをして、少し寒くもあったので、地酒を一杯。


桧原神社から山を下りると卑弥呼の墓かもしれないという有名な「箸墓古墳」があり、この日は、山の辺の道はここまでにして、箸墓古墳へ向かう。


平地へ下り、三輪山を臨む。


箸中の村に入ると「国津神社」があった。


祭神は、天照大神と素戔鳴尊が誓約(うけい)をしたさいに、天照大神の玉から生まれた五柱だそうだ。


本殿には、橘の神紋。

 

JRの線路を渡るとすぐ箸墓古墳に出る。


全長278m、高さ30m で、でかい。

第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として管理されているが、定かではない。


3世紀中頃から後半にかけての古墳ということで、卑弥呼の時代になるが、私は、邪馬台国九州説を支持しているので、卑弥呼の時代、ここ大和の地にも前方後円墳を築くことを特徴とした豪族がいたんだろうと思う。

しかし、本の中でなんどもその写真を見たが、現地に立つと感動するものだなあ。。。。


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