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2006年1月1日、宏村から屏山(ぴんさん)へ向かう。

タクシーの運ちゃんも初めて行くとのことで、途中何度も道を聞きながら村に到着。

村の入り口よりかなり前に入村料の徴収所がある。
入村料は32RMB。宏村よりずいぶん安くなった。

ここも女の子がガイドに付いてくれる。
この日、この時間の訪問客は私一人で、ガイドさんは専属。写真もゆっくり撮れた。

村の入り口に、「下橋亭」という屋根のかかった橋がある。


村は、この橋のかかる川に沿って造られていて、とりあえず川に沿って散歩がはじまった。

外にはほとんど人がいなくて本当に静かな雰囲気。

まだ観光地化されていないためか、中国らしく、川にゴミがあちこちで見られるのは残念だった。

 

屏山の特徴は、門構えが、「牌坊」と呼ばれる鳥居のような造形が、壁に張り付いたようになっている祠堂があることだろうか。


「牌坊」は、7箇所残っているそうだが、そのうちの特に大きな3箇所を案内してもらえた。


いろいろな彫り物がされていて、それらの一つ一つに、なんとかかんとかと語呂合わせの縁起かつぎがあるらしいが、私の語学力ではちんぷんかんぷんだった。

「舒光裕堂」という一番大きな祠堂はの中は、ガラーンと外殻と柱、屋根しか残っていないが、前部に清代の、後部に明代の広間があり、それぞれ広大でその奥行きに圧倒される。


屋根の東西の先端には、東に龍、西に虎が描かれ、これも風水にしたがって描かれているそうだ。


門扉の取っ手は明代のもので、鉄製のためかなり錆びてボロボロになってきている。

 

宏村、屏山の民居を周っていて気になっていたのが、正面中央の飾り棚に、時計を真ん中にして、鏡が左に置かれていることだった。


ここでは、ガイドさんとマンツーマンだったので、何のために置かれているのか聞いてみた。

彼女によれば、中央には元々仏像が置かれていたが、清朝時代に置時計が伝わり、時計が仏像にかわって置かれるようになったそうで、仏や時計は「一生」を表しているとのこと。

右に置かれている花瓶は、瓶と平が同じ韻で、左に置かれている鏡は、鏡と静が同じ韻。

この三つの置物で、「一生平静」と語呂合わせになっているそうだ。

次の写真の飾り棚が観音様を祀ってあったものだそうで、元来は中央にあったものだが、置時計が伝わった後は、2階の部屋に置かれるようになったそうだ。


この村出身の有名人として、舒綉文という女優さんがいて、その人の故居も参観コースに入っている。

 
 
 

門の裏側に文革時代に書かれたものだろうか、「毛主席万歳」という文字がうっすらと残っている。


あと、目に付いたもの3点。

眼鏡井戸は、子供が井戸に落ちないように穴を小さくしているのと、2人が同時に井戸を使えるので便利だ、との説明だった。


この独輪車は、展示されているものだが、あちらこちらで実際に使われている光景を目撃しているので、まだ現役。

サトウキビの絞り器は、今では金属製に換わっているようだ。


帰り際、村の後ろ側の小高い丘を道路が走っていて、車を止めて村の全景を臨む。

晴れていると、向こうの山が屏風のよう連なっていて、この村の名前の屏山の由来になっている。