明けましておめでとうございます。

2022年も無事乗り越えることができ、2023年の新年を迎えることができました。

昨年は、ヤフオクの売れ行きがますます不調になって、週3日間のホテルの夜間清掃のバイトだけではやっていけなくなり、またスマホのバイト募集のアプリで交通誘導のバイトを見つけて、7月から週2日、交通誘導のバイトも始めて週5日間のバイトで「貧乏暇なし」の状況となりました。

幸い、その交通誘導のバイトは時給や残業代が良くて、思っていたより収入が増えて金銭的には余裕ができたので、何年か前にNHKのBSの「新日本風土記」という番組でみた「越前ガニ」を、本場越前へ行って食べてみたいものだ、という宿題を東尋坊近くの民宿へ行って果たすことができました。


70歳を過ぎて、同年代の有名人がもう何人も亡くなって、私もいつ人生を終えることになるかわからないので、いつものように、やりたいことはやれる時にやっておこう、と思った次第です。

期待通りに旨い蟹と地酒で、こんな恵比須顔となりました。


とりあえず、今年も家のローン返済が続くので、週5日のバイトを続けていくことになります。

昨年5月に10年ぶりに健康診断を受けて、血圧が若干高めだったけれど、他に異常はみつからず、健康そのもので、バイトも問題なく働くことができて、本当に健康は財産だと思います。

世の中は、世界中がどんどん右傾化していて、私のような戦後の民主教育とフォークソングとロックで育った者には生きにくさを感じるこのごろです。

昨年は、衛星放送や地上波のTVで映画をみるよりも、ドキュメンタリーを見るほうが多くなり、NHKの「映像の世紀、バタフライエフェクト」という番組をみていますが、そのいくつかの回で冒頭に「私たちはなぜこんな世界に住んでいるのか」と語ります。

ロシアのウクライナ侵攻に限らず、本当に人間の歴史は絶え間のない戦争の歴史で、戦争のない平和な世界というのは絵空事のように感じてしまいます。

講談社学術文庫、宮本一夫著「中国の歴史1 神話から歴史へ」に、今から3000年以上前の殷王朝の時代の国としての成り立ちへの記述として

「王権の進展によって、一方ではこうした異民族の敵視や差別が始まる。異民族を敵視し差別するという感覚もまた、社会組織を維持するための社会機能として作用しているのである。」

結局、大昔から人間社会の権力者は、民族主義や愛国主義、宗教によって、自分の囲った権益内の人々に、他集団を敵視・差別する教育をすることによって「国」というものを形成しているんだなあと思いました。

これもNHKの番組ですが、「ヒューマニエンス」という番組があって、「”絶滅人類”ホモ・サピエンスを映す鏡」という回では、

「我々ホモ・サピエンスは殺戮や資源の独占によって他の人類を滅亡させて、ただ一種今ここに存在している。」

「ホモ・サピエンスは『賢いヒト』であるとともに、他の生物の生存を脅かす『欲張りなヒト』でもある。」

「私たちの欲は底なしで、一個人においても、できるとなったらとことんやろうとする。それが意味がなくても、他人を苦しめていても」

「ホモ・サピエンスは「浪費型人類」になってしまった。」


正に、「私たちはなぜこんな世界に住んでいるのか」という問いの回答がここにあった、と感じました。

我々人類は、他者を滅ぼしても欲望を追求する「性(さが)」なんだな。

これでは、戦争が無くなり、平和な世の中がくるということはありえない、とある意味絶望の境地に陥ってしまいます。

昨年は、敗戦から77年。そして明治維新から敗戦までも77年。

私にとって、明治維新から敗戦までは濃密な「歴史」であったけど、その時間はたった77年で、西南戦争が明治10年で、私は、西南戦争から敗戦までの67年よりも長い時間を生きてきたことを知り、私が20歳ごろの出来事がすでに歴史となっていろいろな映画になったりしてはいるけれど、この70年の歴史はそんなに濃密なものとは感じられずうろたえました。


昨年観た映画のベスト1は、2020年のドキュメンタリー作品ですが、「ムヒカ、世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」とさせていただきます。

当時のウルグアイの大統領のホセ・ムヒカ、2012年6月にブラジルのリオデジャネイロで国連の「持続可能な開発会議」で、次のようなことを演説し、その清貧な生活ぶりから、「世界でいちばん貧しい大統領」として有名になった人です。(ムヒカ自身は、「貧しいのではなく質素なだけです」と言っていますが)

「我々は発展するために生まれてきたのではない、幸せになるために地球に生まれてきたのだ。」

「本当の貧しさとはお金や物がないことではなく、もっともっとといくらあっても満足しない人のことだ」


双葉社刊、佐藤美由紀著「ホセ・ムヒカの言葉」によると、彼は、大統領時代の給料、29万ウルグアイペソ(約130万円)のうち約90%を慈善事業と所属する政党に寄付し、残りの6万ペソは自分の農園に貧しい子供たちを受け入れる農業学校をつくるために貯金しているそうです。

税金泥棒の多い日本の政治家の卑小さを思い知らされます。


そして、こうも言っているそうです。

「私は、持っているもので贅沢に暮らすことができます。」


映画の中で、彼は語ります。

「幸せな人生を送るには重荷を背負ってはいけない。長旅を始めるのと同じさ。50kgのリュックを背負っていたら物はたくさんあるが歩くことはできない。150年前の日本人は私と同意見だったと思うよ。今の日本人は違うだろうけど。産業社会に狂わされていくだろうね。でも日本人が幸せかどうかは疑問だ。」

「(幕末日本人は)西洋の進んだ技術に対抗できないことを認め、彼らに勝てる技術をつくろうと頑張った。そしてそれを成し遂げた。実際にね。でもその時日本の魂を失った。」

「50年前の私たちは富の平等な分配で世界を改善できると考えていた。でも今になって気づいたのは、人間の考え方を変えなければ何も変わらないということ。ちょっとしたお金は人に安心感を与える。だけど物やお金のために生活することはおかしい。消費を繰り返し、新しい物をたくさん壊れやすく作り使い切らない。ほぼ新品の物を捨てて買ってと繰り返して、自然を破壊していく。いくら物があっても足りず、もっと働かないといけない。人は働く時間を減らし、生きる時間を増やす必要がある。」

その世界っていうのは実現可能だと思いますか? という問いに、

「難しいと思うよ。わかってくれるかな。君のように若い人は恋をするための時間が必要なんだ。子供ができたら子供と過ごす時間。友達がいたら友達と過ごす時間が必要なんだ。働いて、働いて、働いて、職場を往復するだけの生活を続けたら、いつのまにか年をとっている。人生の大半は過ぎ去り、唯一できたのは請求書の支払い。根本的な問題は、君が何かを買うとき、お金で買っているわけではないんだよ。そのお金を得るために費やした人生の時間で買っているんだよ。」

「自分ができることをする。周りの人が幸せになる。もし音楽に情熱をもっているのなら音楽に自由を。もし絵画に情熱をもっているのなら絵画に自由を。僕のように土地に情熱をもっているのなら農業に。お金を稼ぐためだけじゃない。自分の中で幸せを感じるからだよ。自分の幸せを探そう。そうすれば人の幸せに貢献できる。世界は変わらない。君自身が変わる。自分を守るんだ。僕は世界を変えたかったが、今は自宅の歩道の補修に奮闘している。世界を変えるのは難しいんだ。」

「日本は一つではない。いくつかの日本がある。一つは非常に欧米化した日本。それは都市やテクノロジーの進歩に現れている。服装なども同様だ。一方、その底流には他とは異なるものに根ざした日本文化が存在している。鍵となるのは日本が歴史のある時点で欧米を模倣し超えようと決意したことだと思う。そして欧米の欠点を増長させ、自らの歴史から遠ざかりすぎた。科学技術をまねし、増殖させた。それが服装や都市などに及ぶ。過去の宝物を忘れすぎた。」


私も、幸せは「足るを知る」ことだ、と常々友人や子供たちに言ってきて、60歳ぐらいまでは好きなことをして生きてこれたので幸運に恵まれてきたと思います。

ただ、この数年は、過去の付けを清算しなくてはいけないので、アルバイトで自分の時間を切り売りして生きています。
でも、それに後悔は無いし、最近浜松市からきた70歳以上の人へのアンケートに幸せ度数の質問があって、私は10段階の8をつけました。アルバイトで自分の時間を奪われている分がマイナス2。

あと2年足らずで家のローンも終わるので、人生80年か100年か、そこからまた自分の時間を楽しもうと思っています。


冒頭の干支の写真の兎は、愛知県七宝町伊福にある伊福部神社で見つけたレリーフです。

伊福部氏は、鳥取市、因幡の地が本拠地で、因幡といえば「白兎」。兎は伊福部氏のトーテムかもしれません。


干支にちなんだ中国の歌というと、兎から連想されるのは「お月様」で、「月」といえば、テレサ・テンの中国での代表曲「月亮代表我的心」。


これもNHKの番組「バタフライエフェクト」の「我が心のテレサ・テン」で知りましたが、テレサ・テンは、中国では自由と人間性のシンボルで、天安門広場でもこの歌が自由と民主主義を求める民衆の中で歌われたそうです。

天安門事件後にオーストラリアへ渡り、現代絵画のアーティストとして活躍している「郭健」さんが次のように語っています。

「テレサの歌を隠れて聴いたことがすべての始まりでした。作り物の強さを装った人間ではなくなったのです。彼女は私たちを人間性が抑圧された状態から解放してくれた人です。彼女は私たちが最も暗い闇にいた時に、自由をもたらした一筋の希望でした。テレサ・テンの人間性は、今もなを暗闇あるいは専制国家で生きている人たちにとって重要な意味を持つと思います。」

香港で行われた天安門広場に民主化を求めて集まった人々を応援する集会で、テレサ・テンは、「民主万歳」と書かれた鉢巻を巻いて、日中戦争のころ日本軍への抵抗の歌として歌われた「我的家在山的那一邊」を歌っています。

テレサ・テンは、民主主義の女神なんだなあと思いました。


彼女が亡くなる4年前のインタビューで、次のように語っています。

「初めて人前で歌ったとき、とても楽しかったです。賞金とかご褒美とかそういうのではないんです。歌うのが好きだったから自分のために歌っただけです。歌えるだけで幸せだったんです。」

ホセ・ムヒカと同じことを言っています。


初春にふさわしい、私が一番大好きな歌、斉藤哲夫さんの「もう春です(古いものは捨てましょう)」をお贈りします。

「手を出して、足を出して、頭を出して、どうにかこうにか道は開けてくるもの」


今年はどんな逆風が吹くかはわかりませんが、無事に過ごすことができますように。。。


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