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20 高定
翌6日は、また独峒まで行って、今度は北東にある「高定(かおてぃん)」という村へ行った。

独峒に到着したのは11時過ぎで、とりあえず食堂で昼食にした。
牛肉と椎茸の炒め物とご飯(17RMB)。

食堂にあった炬燵。


食堂のおばさんに高定への道を聞いて、何キロぐらいかも聞くと、すうこんり、というので、私は4公里(4km)と思ったら、食堂を12時半ごろ出て、歩いて高定に着いたのは14時50分ごろで、すうこんり、というのは「しゅうこんり」。10公里(10km)であったようだ。

中国人の間でも、この「4」と「10」の「すう」と「しゅう」は聞き間違えるので、確認するためには指を十字に組んでみせる。

なにはともあれ、独峒をでてすぐ、次の小さな村がある。

「盘贵(ぱんくい)鼓楼」とあったので、盘贵寨という村だろうか。


ここのシンボルは「鵞鳥」であるらしい。


村の上流側入り口には、「飛山宮」と立派な風雨橋もある。

 

風雨橋のたもとには、「敬如祠」「福徳祠」という石でできた祠があり、中には、油を灯す「蓮華」が祀られている。

 

飛山宮の内部でも油に火を灯して礼拝をするようだ。


ここから1時間ほど歩いて、道路工事をしている人たちに出会ったので、高定までどれくらいありますか、と聞くと、また、すうこんり、というので、まだ4kmもあるのか、とこのとき、4と10を聞き間違えたことに気がついた。

スマホの地図には、高定の位置も道も表示されていないので、人に出会うと道を聞いて、なんとか迷うことなく15時前に高定に到着。


大きな寨門とその横には根元で連なった大きな楠木が祀られている。


思ったより大きな村で、片道歩いて1時間と思ってやってきたので大きな計算違い、さっさと見てまわって独峒へ戻らないと三江へ帰るバスに間に合わないとあせった。

この村には、6つの姓氏の人たちが500数戸居住していて、7つの鼓楼があるそうで、とりあえず駆け足で鼓楼を目標に見て回った。

 
 
 
 
 

新築の家の天井の梁には、横長六角形の黒い布が貼られていて、何か書かれた赤い布が垂れ下がっていて、鼓楼の梁だけでなく、一般の家でも棟上げで黒い布が貼られることがわかった。


村の民家の戸に貼られていたお札。


1時間ほど村の中を見て回って、、広場にあった売店で、独峒へ行く面包車はあるか聞いてみたが、無い、ということで、しょうがない、また歩いて帰ることにした。

帰り道、山羊を追ってやってくる青年と行き会ったが、彼は手製と思われる鉄砲を肩にかけていた。


1時間ほど歩くと、後ろからバイクがやってきて、乗っていきな、と独峒まで乗せてくれた。

運転している青年は、農民画を描いている画家だそうで、独峒の彼の家まで行って彼の描いた絵を見せてもらった。

 

価格を聞いてみると、80×70cmほどの大きなもので300RMB、小さな20×25cmほどのもので50RMB、ということで、バイクに乗せてもらったお礼もかねて、小さい50RMBのもので在庫を見せてもらい、鼓楼の柱を運ぶ絵があったので、それを売ってもらった。


これを運ぶときに歌う歌はあるのか聞いてみると、ある、との返事。
沖縄の木遣り歌の「国頭サバクイ」のような歌だろうかと、トン族の木遣り唄も聞いてみたいものだ。


時間はすでに17時を過ぎて、三江へのバスも面包車もなくなってしまっていたが、100RMBで面包車をチャーターできないか、農民画の彼に交渉してもらい、無事三江まで帰ることができた。


21 和里