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10 五枝の松とその周辺
五枝(ごえ)の松は、「久米島文化スポットマップ13」によれば、

「五枝の松は根元から大きく分枝し、枝はたくましく四方に伸び地面を這い、緑の枝葉をつけています。他に類をみない独特の枝振りが人々に親しまれ、伊平屋島の念頭平松(ねんとうひらまつ)と共に沖縄県の二大名松及び日本名松百選、平成9年には国指定天然記念物に指定されるなど、この地は久米島を代表する観光地となっています。」

ということだが、残念ながら、現在は枝振りの一部を残して枯れてしまっている。

 
 

根元にある祠には、「土帝君(とていくん)」が祀られていて、中央に祀られている石板には「土帝君」と刻まれている。

土帝君は、沖縄タイムス社編「おきなわの祭り」によれば、

「土帝君は、中国伝来の民俗神ともいうべき神で、一般にトゥーティークーまたはトゥーティクといい、伊是名ではフトゥキ(仏)ともいう。
 中国の『土地公』『福徳正神』と呼ばれる神名がもとで、伝来は記録によって、17、18世紀ごろと推定されている。土地公が沖縄で土地君になり、さらに土帝君になったとするのが、大方の見方である。
 墓の守護神としての土地神もあるが、これは別として、農業神として土地神を勧請した村落は、沖縄各地に40ヵ所を超えるという。『土地公』や『土帝君』の文字を刻んだ例もあるようだが、古くは木像を、のちには石像または陶製神像をまつった例が多い。」

 

公園の一角に、「ウフーガー」という井戸もあった。

 

3月5日に訪れたときは、琉球松に花が付いていた。

雄花と雌花が別々に付いていると思ったが、雄花の上に雌花が伸びてくるのだそうだ。

 

ここには、五枝の松を讃える歌の歌碑がある。

 

五枝の松は、幹線道路の242号線から外れたところにあるが、その幹線道路沿いに「君南風殿内(ちんぺーどぅんち)」がある。

「久米島文化スポットマップ14」によれば、

町指定史跡。

「部落時代から、集落のノロを統括するキミという神職が置かれていました。按司時代には按司の姉妹神として、祭事を司る神職のキミがいて、王府には三十三君の神女組織が設けられていました。古くは君南風もこの三十三君の一人でした。
 弘治(こうち)13年(1500年)尚真王代に、八重山のオヤケアカハチを征伐する首里軍に従軍し、君南風の計略により大勝利をおさめ、国王より恩賞を賜ったとされています。この時以来、君南風は久米島の最高神女として、島内のノロや神女を統括し、島民の精神的支配者になりました。
 『おもろそうし』に『中地稜庭』とうたわれる君南風殿内は歴代君南風の祭礼殿です。
 康熙(こうき)6年(1667年)三十三君は廃止されましたが、伊平屋のあむがなし、久米島の君南風、今帰仁のあおりやえの三君だけは残されました。」


社殿は、鳥居が立ち、拝殿、本殿と並び、本土の神社のような造り。


拝殿には、御幣が三つ並ぶ。

沖縄の拝所である御嶽には「三つ石」が祀られているそうだが、この三つは、主神を中央に左右の陪臣を表していると思う。


石灯ろうに歌碑があったが、これは新しい歌のようだ。



比屋定から君南風殿内へ向かう幹線道路で君南風殿内の手前に「おばけ坂」への道標がある、

「おばけ坂」は見た感じ何の変哲もない下り坂に見える。


何なんだろう、と歩いて行ってもわからない。

もう一度案内板の所に戻って読んでみると、「車で坂を下りて、ギアをニュートラルにする」とあり、それに従ってみると、アラ不思議、今下りてきた坂を車が上りはじめた。

3度繰り返してこの不思議体験を味わった。

 
 
幹線道路からおばけ坂へ向かう途中に、「久米ハンタ前(めー)節の歌碑」がある。

石に刻まれた説明文は読みにくいので、「久米島文化スポットマップ15」の説明文によると、

「この歌は『久米ハンタ節』として、また『中城(なかぐすく)はんた前節』の本歌として歌い継がれてきたもので、『仲地(なかち)ハンタ前節』の節名で舞踊も継承されています。
 歌意は「ハンタ前の傾斜地に溝を掘って水を引き入れ、多くの田んぼに水が満たされ、何とも喜ばしいことだ」という意味です。
 慶長年間(1600年頃)久米具志川間切の首長であった儀間道真(ぎまどうしん)が、水不足で困窮している農民のために水路工事に着手、待望の灌漑用水路が完成し、たくさんの田んぼに水が満たされた農民の喜びの気持ちと、儀間道真の偉業を琉歌にして歌ったものと伝えられています。
 このような先人達の苦労のおかげで、久米島は古くから米の自給自足が出来る豊かな島として知られるようになりました。