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| 07 具志川城跡とその周辺
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| 具志川城跡(ぐしかわじょうあと)は、久米島の北西海岸にある。 「久米島文化スポットガイドマップ20」によると、ここも国指定史跡。 「具志川城跡は久米島の北西海岸にあり、東側の正門跡(三の郭)以外は、30m余の断崖です。海に面した石灰岩の丘陵上に立地しています。 15世紀初め、真達勃(まだふつ)按司によって築かれたといわれ、城内は4つの郭に分けられ、郭内は低い石垣で仕切られています。城壁は安山岩の平石積み、石灰岩又は安山岩を混ぜた積み方に特徴があります。真達勃按司の子、真金声(まかなごえ)按司の時に伊敷索(ちなは)按司の次男、真仁古樽(まにこだる)按司によって落城され、真金声按司は沖縄本島南部喜屋武(きゃん)岬近くに同名の城を築いたと伝えられます。 平成11年度から始まった発掘調査では、青磁・中国古銭・陶器類などが出土し、盛んに中国と交易を行っていたことがうかがえます。」 幹線道路からはずれ具志川城跡へ向かう支道から臨む城跡全景。 |
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城への上り口。 |
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正門前にある「トートー石」 案内板の説明によると、 「稲の豊作を感謝する6月ウマチー(旧暦6月25日)のグシクヌブイ(城登り)の際に久米島の最高神女である君南風(チンペー)が座する石のことである。」 |
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正門の通路は昔からこんな風な工法があったのか、と思ったが、どうもこれは整備の時につけられたものらしい。 |
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やはり石垣は美しい。 |
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城から眼下の海岸を見下ろすと、岩場を絨毯のように被っている植物が見える。 |
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ネットで調べてみると、これは草ではなく、「ミズガンピ」という木本の植物とのこと。 「隆起珊瑚礁の岩場上部や、海岸近くの原野に生える植物で、潮の満潮時には根元は海水の下に浸かってしまう環境にも育つとても強い植物である。一見すると草本に見えるのだが木本であり、その材は硬く紫色をしている為浜紫檀(ハマシタン)の名でも呼ばれる。 潮が常に被り浸かる場所では樹高はせいぜいが1〜3m程度のものだが、過酷過ぎぬ環境では10〜20mにも育つ樹木である。」 |
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一の郭からは、「ミーフガー」を臨むことができる。 |
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城跡の上り口に「あおりやへか節の歌碑(具志川城のオモロ)」がある。 |
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幹線道路から具志川城跡へ行く道に入って坂を下っていく途中に、「木綿花節の歌碑」も立っている。 「久米島文化スポットガイド、琉歌・歌碑巡り」によると、 「具志川按司と百姓の娘との恋愛歌で、具志川に伝わる代表的な歌です。」 |
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具志川城から海岸へ下りて右側へ行くとすぐ、城跡からも見えた「ミーフガー」ある。 |
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「久米島文化スポットガイドマップ21」によると、 「岸壁の中央に空洞があり女岩とも呼ばれ、『子宝に恵まれない女性が拝むと、ご利益があるといわれます。』というのが一般的な説明ですが、地学的に見るとミーフガーは一枚の岩に穴が空いているのではなく、穴の上に走っている亀裂を境に海側の岩が石灰岩、陸側の岩が凝灰角礫岩という岩石で400万年以上前にできたものであり、この2つはそれぞれ違う時代にできた岩です。海底にあったこの地帯が陸地化する過程で潮や風に削られ、固い部分だけが残り現在のミーフガーになりました。 ミーフガー手前、左側のくぼ地には石灰岩層の下に赤茶色の層がありますが、これも前述の凝灰角礫岩です。しかし、上に乗っかっている石灰岩は、ミーフガーのそれとは違い、比較的新しくできたもの(イリビシ石灰岩と呼ばれ、約4000年前にできたといわれています)です。太古から延々と続く地球の営みが感じられます。」 「凝灰角礫岩とは、直径32mm以上の火山岩と大量の火山岩が海底に堆積してできた岩石です。」 たまたま潮が引いていて、赤茶色の凝灰角礫岩の層が見られた。 |
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ミーフガーの下で見つけた「ムラサキオカガニ」の死骸。 奄美大島以南の沖縄の離島に分布しているようで、濃い紫色の甲が特徴で、石灰岩の岩礁や海岸付近の林内に棲息しているそうだ。 |
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ミーフガーのすぐ手前に駐車場があり遊歩道もあったので行ってみると、突き当りに小さな滝があった。 |
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ここから幹線道路にもどり、比屋定バンダ方面へ行くと、「タチジャミ」がある。 「久米島文化スポットガイドマップ22」によると、 町指定天然記念物。 「タチジャミ岩は、久米島町の北端の海岸にあって、高さ約40m、横幅約70m、厚さは約5mの屏風を立てたような形態をしています。これは地下の直線状の割れ目の中でマグマが固まってできたもので、周辺の軟らかい堆積層が浸食により消失し、流紋岩から成る硬い岩脈が残って形成されたものと考えられています。 又、このような形態をした岩脈は沖縄県下でもここだけです。 流紋岩:火山岩の一種で、紋様が流水状を呈し、かつて流動した形態を留めています。」 |
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このタチジャミのある海岸は、「タチジャミ公園」として整備されていて、タチジャミへは、高台にある公園の駐車場から海岸まで階段を下りて、その後もけっこう歩くことになる。もちろん、帰りはその階段を上らなければならないから大変。 その階段を下りきったところに「天宮城(あんまーぐすく)」という人工物のような天然の奇岩が立っている。 「久米島文化スポットガイド23」によると、 町指定天然記念物。 「宇江城の東堂原の海岸に、流紋岩や安山岩の奇岩がそびえ立っています。その中に天宮城と名付けられた安山岩の岩山があり、ひときわ目を引きます。高さ20~30m、まるで石を積んだような独特な形をしていて、すぐ近く(海岸に向かって左手)中堂原にあるタチジャミと同様、昔と変わらぬ勇壮な姿を見せてくれます。周辺には同じように陸から海に向かって伸びる安山岩や玄武岩などの岩脈があります。一帯は景勝地であるだけでなく、久米島の成り立ちを知る地質学研究の面から貴重なものと言えます。」 |
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タチジャミ公園の駐車場の片隅に「仲里節の歌碑」がある。 久米島文化スポットマップ24」によると、 「場所については、伊平屋島の仲里又は仲島遊郭など諸説ありますが、琉歌百控では久米島の仲里とされています。」 |
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また幹線道路にもどり、比屋定バンダ方面へ行き、比屋定の集落へ入ると「ウティダ石(太陽石)」へ入る道標がある。 「久米島文化スポットガイドマップ26」によると、 沖縄県指定史跡。 「字比屋定集落の東側のはずれ、松林の中にある丸い巨岩のことで、今から500年前に堂の比屋という人が、日の出を観測した石だと伝えられています。東方の水平線上に粟国、渡名喜、慶良間諸島が一望に収めることができ、堂の比屋は、この石によりかかって夏至から冬至までの日の出を、粟国島から久場島までの各島々に目標を置いて観察し、日の出の位置によって季節の移り変わりや特徴を知り、作物の播種や植え付けの適期あるいは強風、豪雨の時期などを予知して、人々に教えたと伝えられます。」 今は、木々に囲まれていて、島々を臨むことはできない。 |
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| この日は島を左回りで史跡巡りをして、具志川城跡をでてから幹線道路沿いに食堂があるだろうと思って走っていたが、全くお店がなくて、タチジャミ公園のころは14時を過ぎて腹ペコでまいった。 公園からウティダ石へ向かう時、やっと「久米島そば」の幟をみつけて遅い昼食にありついた。 あとで、ガイドパンフレットの「久米島ぐるり旅2」見ていて知ったがこの食堂は「がーでんきっちん&かふぇ 城」。 「お客様との出会いを大事に。自宅を改装したお食事処」 建物の左側のガレージが駐車場になっている。 |
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久米島そばに野菜やモズクの小鉢がついたセットで1000円。 美味しくいただいた。 |
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