町内の掲示板の前を通りかかって「雄踏歌舞伎」のポスターを見つけ、1月20日(毎年1月の第三日曜日)に雄踏の文化センターで行われるとのことで、地元でこんな催し物があるとは知らず、早速観にいった。
「歌舞伎は、江戸から昭和にかけて庶民の人気の娯楽でした。村人が役者になって神社の祭礼などで上演することもあり、浜名湖畔地方では「万人講(まんにんこう)」と呼ばれていました。村祭りの余興として遠州や三河の歌舞伎一座を招いたところ、この一座に熱をあげ、巡業に加わって芝居を教わり、自ら演じてみようとするものが出てきました。そして、その人たちが大勢の村人を集めて「講(神仏をまつり、または参詣するために組織する団体)」を作り、芝居を神社に奉納したところから「万人講」と呼ばれるようになったといわれています。浜名湖周辺の地域へ巡業し、神社等とは別に独立して公演が行われるようになったようです。」 「戦後も続いていた万人講ですが、昭和27年(1952)を最後に途絶え、やがて小屋も取り壊されてしまいました。こうして歴史を閉じたかに見えましたが、平成元年(1989)の雄踏文化センター完成をきっかけに平成2年(1990)に37年ぶりに復活しました。」 今年は復活してから30回目にあたる。 「万人講」については、女も子供も誰でも参加できる、ということで、そう呼ばれたそうだ。 文化センターへ入ると、以前あったのだろうか、「西遠劇場」さんへ商店から送られた幕が掲げてあった。
また、パンフレットももらったので、それらを参考に進めると、 「寿式三番叟」
一番最初に舞台を清めるという意味合いと、一日の公演舞台の安全を祈る、という意味がある。 地芝居の公演では必ず最初に行われるが、場所によってすべてその「振り」が全部違うのだそうだ。 ここ雄踏では「千歳」が踊るのが特徴であるそうだ。 写真、右から、「翁」、「千歳」、「三番叟」。 「舞台を清める」ということでは、民俗芸能辞典をみていてたまたま見つけたが、奥三河の花祭りで鬼が「反閇(へんべ)」を踏む、と説明されていて、「へんべ」というのは訛ったもので、正しくは「へんぱい」と読むそうだが、本来、土地の精霊、あるいは悪霊を踏み押さえ込む精神で行われる動作で、三番叟は、「舞う」のではなく「三番叟を踏む」とよばれているのも、この「反閇を踏む」動作に由来しているとのこと。 |
子供たちの「和太鼓」があり、その後の休憩で私は昼食。
「本朝廿四孝」
武田家と長尾家の話で、安田先生の解説によると、勝頼をめぐる許嫁の「八重垣姫」と斎藤道三の娘「濡衣」との長い物語の一場面。
「身替座禅」
大名が馴染みの花子のところへ行くのに奥方が怖いので、一計を案じて、持仏堂に籠り座禅をの行をすると言って、身代わりに太郎冠者に衾を被せ花子のもとへ行くが、奥方にばれてしまい、奥方は太郎冠者の代わりに衾を被り殿の帰りを待ち、殿はいい気持ちで千鳥足で帰ってきて、花子との楽しい逢瀬の様子を語って、さて自分がまた座禅姿になろうと衾をとると、そこには奥方が。
「弁天娘女男白浪」
「興話情浮名横櫛」
この演目は25年ぶりに演じられるが、「与三郎」は、25年前と同じ人が演じているそうだ。 「お富さん」は、なかなか色っぽい。
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