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津島神社 天王祭 宵祭

津島にある津島神社へは何度か行ったことがあるが、2011年7月23・24日に天王祭が行われたので見に行った。

 

名鉄津島駅に祭りのパンフレットが置いてあって、それによると、

 

「天王祭は津島神社の祭礼として500年以上も続いています。その起源としては南北朝時代に津島に逃れてきた良王親王(後醍醐天皇の曽孫南朝方の親王)を守る津島武士が、北朝方の武士を船遊びにさそい討ち取ったことに由る行事とか、津島神社の「神葭流し」の神事をもとにしたものとか言われていますが明らかではありません。永禄3年(1560)桶狭間の戦いの2年前、夫人同伴で織田信長が現在の御旅所附近にかけられていた天王橋から朝祭を見物しています。祭は、昔から陰暦の6月14・15日に行われていましたが、昭和38年から太陽暦の7月第4土曜日(宵祭)と翌日の日曜日(朝祭)に変更されて現在に至っています。(昭和55年1月、国重要無形民俗文化財に指定)」

 

宵祭の「まきわら船」の写真は見たことがあったが、やはり現物を目の当たりにすると、その美しさは格別であった。

翌日の中日新聞によると、20万人が訪れたということだが、範囲が広いので熱田神宮の尚武祭(例祭)のときのように身動きがとれなくなる、ということはなかった。

 

宵祭は、やはりパンフレットによると、

「旧津島五ケ村の、筏場(いかだば)、下構(しもがまえ)、堤下(とうげ)、米之座(こめのざ)、今市場(いまいちば)から5艘のまきわら船が出されます。屋台の上に半円・山型に365個(1年をあらわす)の提灯。中央高く真柱(まばしら)を立て、12個(月をあらわす)の提灯をかかげます。これら提灯に火がつけられ、津島笛を奏でながらゆうゆうと漕ぎ渡るころ、灯と水のドラマは頂点に達します。」

 

さらに、谷川健一編「日本の神々10 東海」によると、

「天王川の入江の車河戸と呼ぽれるところで津島の五車は一斉に準備を調え、夜八時頃にすべての提灯に火がともされ、太鼓、津島笛の音とともに、川面を赤々と提灯の火で染めつつ五つの車楽が御旅所へとのぼってくる。御旅所に着岸すると車屋(祭の関係者)が上陸し、神輿に参拝して再び帰路につく。」


私は、始めは、車河戸から天王池に出る口のところに陣取ったが、森影からまきわら船が姿を現す様は、日食で隠れた太陽が月蔭から姿を現してくるようで、感動を覚えた。

5艘のまきわら船がすべて帰るまでにはそうとう時間がかかるようで、電車が混む前に、と22時前には津島駅へ向かった。