寺野の「ひよんどり」は毎年1月3日14時ごろから、村の中の「直笛山宝蔵寺」で行われる。 寺野は、浜松市北区引佐町渋川の一画にあり、本村の渋川から一山上った山の斜面にある戸数40戸ほどの集落。
「ひよんどり」というのは、たいまつを振って踊ることから、「火踊り」が訛って「ひよんどり」といわれるようになったそうだ。 ここで売っていたガイドブック、「遠江のひよんどりとおくない」(500円)によると、 「村の開祖に関わった伊藤氏の一族がひよんどりを支え、伝えてきたのである。この祭りが伊藤一族が家の祭として持ち込んできたのか、この一帯に伝わる「おこない」を取り込んだのかは、定かではないが、伊藤一族は文化面の才能に秀でていたようで、信州新野の雪祭りの発祥にも関わったり、寺野や神沢の面を制作したりしている。」 祭りは、地の神、つまり寺野元祖の供養として、本堂の外にある「伽藍様(寺野元祖の伊藤刑部祐雄の木像が祀られている)」の前での「伽藍祭り」から始まる。
「伽藍祭り~ひよんどり」 先ず神降ろしが行われ、伽藍のまえでは、順の舞、巫女の舞が舞われるが、順の舞が舞われているときに、御堂のなかで松明を振って「ひよんどり」が始まる。 巫女の舞が終わると、伽藍様の火を御堂に持っていって、ひよんどりの歌誦は終わり、本堂祭りが始まる。 |
本堂祭りは、先ず、順の舞が舞われ、「鶴亀の踏みならしたるこの庭なれば悪魔は寄せず富ぞいります」「万歳楽、万歳楽」と唱える。
次に、「三つ舞」が舞われ、
次に、「片剣の舞」が舞われるが、剣の舞が終わるころ、わら束の中に木刀を入れたものをかついだ者が出てきて、先の者と代わって、急速調に踊りまわる。この舞は型にはまったものではなく、滑稽味を帯びた奔放な乱舞で、これを「もどき」という。
次は「両剣の舞」でこれも後には「もどき」があって、両剣のもどきは呪師の走り舞の系譜に属し、激しい動きで舞う。周りでは「早めて早めてよう舞うなあ。よう舞うなあ」と囃したてて、早さを要求する。
次は「火能(ひのう)」。
この舞についてはガイドブックには説明がない。
天狗の面を着けた禰宜様の後ろにもどきがついて、禰宜様の肩で木彫りの男根をしごき、「とほほーい」と叫んで白い紙を前方に撒く、これはは多分射精を表わしているんではないかと思う。
次の「矛の舞」、「粟穂の舞」、「杵の舞」はそれぞれ男性の象徴で、子孫繁栄から五穀豊穣への所作が展開されていく。
次の「女郎の舞」は滑稽な舞として行われているようだ。
次の、「翁の舞」と「松影の舞」は舞の型が伝承されていなくて、禰宜様が祭文を唱えるのみ、
そして「獅子の舞」。先ず「まねき」が舞い、そこへ獅子が出てきて舞った後、疲れて中央に伏してしまう。禰宜が登場して刀を抜いて獅子に噛ませ、観音様に供えてあった餅を食わせる。禰宜はまねきとともに「獅子ようれんや、起きようれんや、起きたなら、起きたなら一緒にまた舞おうよ」と励まし、起き上がった獅子はまた五方に舞う。
いよいよクライマックスの「鬼の舞」。「まねき」の先導で赤鬼の太郎、黒鬼の次郎、最後に青鬼の三郎が踊り出てくる。最後に三匹の鬼は代わる代わる松明の火を乱打し消す。
最後に「禰子ざね」が舞われ、祭りは18時ごろ終わった。