神社・古墳めぐり / 尾張の式内社めぐり / 宇夫須那神社

宇夫須那神社

式内社の宇夫須那神社(うふすなのじんじゃ)は、一宮市島村に鎮座する「宇夫須那神社」に比定されているが、岐阜県羽島郡岐南町にある「綾衾神社」とする異説もある。

式内社調査報告では、「島村説はほぼ定説になっていると考えてよいだろう」としている。

この社名は、盧入姫(いおきのいりひめ)の産屋にちなんだものと考えられている。

「新編一宮市史」には、下記のように考察されているそうだ。

「なお、盧入姫は『古事記』に五百木之入日売(いおぎのいりひめ)、『書紀』に五百城入姫と記し、景行天皇(第12代天皇)の皇女で、母は、天皇が美濃に行幸した時、妃とした八坂入媛という。盧入姫の産屋の地とする説は事実とは認められないが、その兄五百木之入日子が尾張連の祖建伊那陀宿祢の女志理都紀斗売(しりつきとめ)を嬰ったという伝承が『古事記』応神段分注にみえ、このような美濃と尾張の地理的環境・人的交流がこの盧入姫伝承を生み出したものとみられる。また、大毛の地の五百入塚をこの盧入姫の墓とする伝えはおそらく江戸時代に入って生み出されたものであろう。」

【所在地】

一宮市島村字上深田に鎮座する。

島村の集落の南端にあり、集落の東を大江川が南流している。

【祭神】

現在の祭神は、餘曾多本比賣命(よそたほびめのみこと)。

考昭天皇(第5代天皇)の皇后。尾張連、奥津餘曾の妹にあたる。

『葉栗史誌』も、祭神を飴曾多本比責命として、「若栗神社御祭神の御母君を祀る。御神霊は履中天皇の御宇近江国滋賀郡真野村神田神社境内西浦神社より余曽多本毘売命を故あってお迎えした」と記しているそうだ。

【由緒】

創建年代は不詳。元、五社権現と称したが、明治維新後、宇夫須那神社と改称した。

【社殿】


社殿は、東向きに、拝殿、渡り廊下、本殿と並ぶ。

本殿は流造りで、千木・鰹木はない。


拝殿屋根瓦などに神紋はみられないが、「宇」の字がある。


拝殿屋根の左右に「鳩」の飾り瓦が付いている。


本殿脇に、依代だろうか、大石がある。


【参拝記】

2011年1月30日、一宮の北部地域にある式内社や八剣神社を訪ねて歩いた時の続きで、坂手神社から、少し北、島村の集落の中に式内社の「宇夫須那神社」がある。

鳥居をくぐった正面に、石造りの透し塀があり、「丸に並び柏」の紋がつく。


ここに「丸に並び柏」の神紋が刻まれていた。


境内はそんなに広くはないが、社殿の北側に、「宇夫須那神社古墳」と刻まれた石碑がある。

尾張連に関係のある人が葬られているのだろうか。


境内社としては、「福寿龍神」が祀られていた。



次に、式内社の「高田波蘇伎神社」へ向かった。