神社・古墳めぐり / 尾張の式内社めぐり

尾張の式内社めぐり

熱田神宮内に「文化殿」があり、宝物等が展示されているが、2階に図書室もあり、神社関係の書物を閲覧することができて、式内社研究会編集の「式内社調査報告」という本をみつけた。

その第8巻 「東海道3」は、尾張の式内社121社について解説している。

アマゾンで検索すると、価格は忘れてしまったが、数千円で手に入り、この項は、それを主な参考書として記述する。

愛智郡

平凡社刊「日本歴史地名体系23 愛知県の地名」によると、

愛智郡は、尾張の東端にあたり、北は瀬戸・尾張旭の両市、西から南にかけては名古屋・豊明の両市、東は豊田市および西加茂郡三好町に隣接する。地形は一般に東が高く、西に低く、標高30~170m内外のゆるやかな起伏が続き、河川は、東南端を境川が南に流れて三河との国境をなす。中央部を天白川、北部を香流(かなれ)川が、いずれも源を東部の丘陵に発して西に向かい、名古屋市を経て前者は伊勢湾へ、後者は矢田(やだ)川に注ぐ。

「日本書紀」に年魚市(あゆち)郡、「延喜式」や「和名抄」には愛智(あいち)郡とあり、ほかに吾湯市(あゆち;日本書紀)、阿育知(あいち;日本霊異記)、阿由知(あゆち;尾張国熱田太神宮縁起)などとも書かれるが、明確には「続日本紀」和同2年(709)の条に「尾張国愛知郡大領外従六位上尾張宿祢」とあるのを初出とみるべきであろう。

当郡は、主として低い丘陵や台地からなり、東から南へ伊勢湾が深く入り込んでいた。それらの縁辺や河岸段丘には、漁労生活を営む人々が早くから居住し、またその後に生じた沖積平野には稲作などの農耕も定着して、縄文・弥生両時代の各期にわたる遺跡や出土品は非常に多く、西南部の古い海岸や河岸沿いに広く分布している。

代表的なものに粕畑(かすはた)貝塚(南区)、国指定史跡の大曲輪(おおぐるわ)貝塚(瑞穂区)、見晴台遺跡(南区)などがある。古墳は4世紀にさかのぼるものはみられないが全域に分布する。四仏四獣鏡が出土し、隠滅した大須二子山古墳(中区)は大型の前方後円墳として知られる。熱田神宮に近い断夫山(だんぷやま)古墳(熱田区)は、尾張最大の前方後円墳で、日本武尊の伝説で名高い宮簀媛の墓といわれ、ほの北方から東北方にかけて高蔵・城山などの円墳群が多い。5世紀後半には須恵器の生産も始まり、この頃から熱田方面を根拠とする有力な豪族が出現したと考えられる。


熱田神宮 名古屋市熱田区神宮1~4丁目 
上知我麻神社 熱田神宮境内の摂社
  南区星崎町の星宮社境内の末社 
下知我麻神社  熱田神宮境内の摂社
御田神社 熱田神宮境内の摂社
  中村区岩塚町の七所社の境内社
日割御子神社 熱田神宮境内の摂社
孫若御子神社 熱田神宮境内の摂社
八剣神社 熱田神宮境内の摂社
火上姉子神社 名古屋市緑区大高町火上山1番地
高座結御子神社 名古屋市熱田区高蔵町9番9号
青衾神社  
日置神社  
高牟神社  
川原神社  
針名神社  
伊副神社  
成海神社  
物部神社