祭り見物 / 静岡県 / 西浦田楽
(にしうれでんがく)
「静岡県の祭ごよみ」によると、
「翁川の中・上流域を西浦(にしうれ)といい、水窪の町から翁川に沿って6kmほど上った辺りに、所能(しょのう)という小集落があり、ここの観音堂境内が田楽が行われる舞庭となる。 西浦田楽は旧暦1月18日に観音様の祭りに合わせ、夜を徹して盛大に行われる。 祭りには「能衆」と呼ばれる、この土地を開いた草分けといわれる家柄の人々が奉仕する。 田楽の起こりは、養老3年(719)に行基菩薩がこの地を訪れて、聖観音像とともに面を作ったことにあるという。ただし、その芸態は室町時代風である。 境内の中央に楽堂(囃子方の座)を仮設し、その側に北と南二つの大松明を作る。直径1m、長さ4mほどで、北松明は直立させ、南松明は横たえる。北松明には後に絡繰り(からくり)の船によって点火され、一晩中燃えさかる。 演目の構成は、地能(神へ捧げる舞)33番・はね能(芸能的な舞)12番・後払の獅子・鬼・鎮めとなっていて、向かいの山の峰から朝日が谷間を射すころに終了する。 地能は、田打ちに始まって、水口祭り、五月女と稲作の次第(田遊び)を順に演じ、それに麦撒きや養蚕の労作芸や田楽舞があって、三番叟で祝い納める。これは五穀豊穣、養蚕繁栄を予祝するものである。 はね能は、高砂・八島(屋島)・野々宮と能楽の演目が続く。地能は世阿弥以前の猿楽や田楽からなり、はね能は世阿弥以後の猿楽の能楽からなっている。」 今年の旧暦1月18日は、2月22日で、午前中に仕事を終えて、13時ごろ家を出発、15時ごろ西浦に到着。 長野県との県境に近く、かなりの山の中。会場の観音堂近くの小学校校庭が臨時駐車場になっていたのでそこに留める。 駐車場から走ってきた国道152号が見下ろせる。
境内では、夜に向けて準備の真っ最中で、どこかの大学の実習だろうか若者が大勢いる。 仮設の楽堂もできている 奥の院は、白山大権現と稲荷大明神 石仏も並ぶ。 山の斜面に何本か「幣束」が刺してある。 田楽は21時から始まるとのことで、いったん車に戻ってひと眠りしてから、例によってお湯を沸かしてカップ麺とコーヒー。 場所取りもあるので19時半ごろ境内へ行く。 まだ見物の衆は少なく、皆、楽堂の向かって右側に陣取っていて、楽堂の正面はあいていて、今回は携帯用の腰掛ももってきていたのでそれに座って正面に陣取る。 21時に近づくにつれてわかったのは、田楽が始まると楽堂の左側に積まれた薪に火がつけられるので、近くにいるとかなり熱いらしい。まあ、始まってから熱ければ避難しようとそのまま陣取ったが、薪から5mほど離れていたので、熱くはなく、ちょうど暖かくて、いいところに陣取ったと思う。 楽堂のなかに演目の題目が掲げられていたので、その順番で演目を追っていったが、途中で、演目と題目がどのようになっているのかわからなくなったので、時系列で追っていく。 21時ごろ、演者一行が松明を先頭に行列を作って、境内への石段を上ってきて、「庭上がり」し、楽堂の向かって左側の大松明に火を入れて地能が始まる。 ●「庭ならし」と「御子舞」 始めに、「能衆」が謡い、次いで御子二人にそれぞれ大人が介添えして扇を振って四方に向かって舞う。保存会会長(能頭?)が舞い、もう一人同じ舞いを舞う。 |
●「地固め」と「もどき」
長い槍を持って舞う。もどきは注連縄を掛けている。
●「剣」と「もどき」
剣を持って舞う。もどきは注連縄を掛けている。
●「高足」
私が子供のころ遊んだ「ホッピング」のように跳ぶ。
●「高足」の「もどき」
「もどき」のほうが上手に跳ぶ。
●「猿の舞」
雄猿がひと舞いすると雌猿が登場して、滑稽問答。
●「ほた引」
「亥の子突き」のように木柱の「ほた」につないだ縄を引き地面を打つ。「ほた」とは、炉や竈ででたくたきぎ。
●「「舟渡し」
お舟で火を運び、大松明に点火。なかなか凝った趣向だ。
●「鶴の舞」
一人ずつ三人が舞う。
●「出体(でたい)童子」
花祭りの童子が冠ぶるのと同じ形の冠を着けて4人が舞う。その冠が「童子」を象徴しているのだろう。
●「麦つき」と「田打ち」
太鼓を突くようにしてたたき、詞章を唱える。
「田打ち」になると、麦つきに続いて太鼓を打つが、詞章が変わる。
●「水な口」
田の水口に立てる幣を滑稽なしぐさで奪う。
●「種まき」
詞章を唱えて四方に種を撒く。
●「よなぞう」
暴れ牛が登場。
●「鳥追い」
ササラを鳴らして鳥を追う。
●「殿舞」
刀、槍などの採り物を持って殿と従者が廻る。
●「早乙女」
なぜ「早乙女」なのかわからない。
●「山家早乙女」
「能衆」が謡う。「もどき」のように注連縄を肩から掛けて舞う。
●「種おり」
「てんてんぼうし」が背負われて登場。
「てんてんぼうし、めんこいぞう」と、煤払いのような束で見物人の頭をたたいていく。
私も叩いてもらい、無病息災。
2時になり、ここで1時間休憩。
車にもどるのもおっくうなので、売店でお酒の熱燗を買って飲み、3時まで時間をつぶす。
●「桑とり」、「糸引き」、「餅つき」
作業を象った演目
ここからがどの演目かわからなくなったが、「鼓」を持った演者が中心になって演目が進むので、「田楽舞」だろうか?
次に、6人の面を着けた人を中に松明を持った人が両側について、「そろりや、そろり」と詠いながら舞庭を廻る。
「民俗芸能辞典」によると、「地能の仏の舞は観音六面の面形であるが・・・・・」とあるので、これが「佛の舞」だろうか?
そして、4人が面を変えて同じ舞いを舞うが、これが「三番叟」だろうか?
ここから、「謡」が謡われるようになり、「高砂」という詞章も聞かれたので、ここが「高砂」と思われ、「はね能」はここからのようだ。
ここから物語のようになり、まずは弓で天狗退治。
次に、薙刀で天狗退治
そして、いくつか舞が続いた後、剣で天狗退治。
ここで、「山姥」か「さお姫」か、前掛けを着けているので、女性であることはわかるのだが。。。。
そしてはね能の最後の演目は、弁慶と牛若丸。
7時半頃、すべての演目が終わり、「しずめ」の儀式に入るが、谷側の見物人は皆、山側へ移動させられる。
そして「しずめ」。
鬼の面を持った人が「反閇(へんぱい)」を踏み、禰宜様(?)から「本国へ帰れぇぇぇ」と命じられ、退散する。
最後に、「火の王」の面を持った人が木の剣のような形のものを持ち、反閇を踏み、なにかまじないをし退場、その後、「水の王」の面を持って現れ、扇子で、やはりまじないをして退場。
8時ごろ、これにてすべて終了。
久々の徹夜だったが、面白く見物ができたので、疲れは感じなかった。
車でひと眠りしてから帰るつもりだったが、夜明け前から腹具合がわるく、グーグル検索したら、すぐ近くに公衆トイレがあることがわかり、直行、そのまま帰路に就いた。
しかし、1時間ほど走ると眠くなり、ちょうど道の駅があったのでそこでひと眠りして、12時ごろ帰宅した。