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御津の御馬祭

2012年8月5日日曜日、三河の豊川市御津(みと)町御馬(おんま)のお祭を見に行った。

 

10時すぎに名古屋からJRで「愛知御津」駅まで行き、そこから祭りの行われる「引馬神社(ひくまじんじゃ)」まで20分ほど歩く。

引馬神社は御馬の集落の東側に位置している。

鳥居は御馬の集落に向いて、境内の西側にあり、そのすぐ横に「秋葉神社」がある。

社殿は、南東向きに建つ。

由緒書板があり、

祭神は、須佐之男命 相殿に大己貴命・稲田姫命ほか。

「正暦年中(一説に同2年、西暦991)に京都の祇園社(現八坂神社)より勧請と伝え、往時は牛頭天王社と称したが、明治初年の神仏分離令により今の社号に改まる。

祭礼は八月第一土・日曜日(かつては旧暦6月15日)」

 

拝殿屋根には、「五瓜に唐花」の紋。

本殿は、流造りで、千木・鰹木が載る。

拝殿前の蟇股には、矢じり様の飾りがつく。

境内には、若宮社・天神社・神明社・水神社・御鍬社・市杵島社・白蛇社が覆屋のなかに並ぶ。

鳥居をくぐって参道を行くと、お祭り用に絵燈籠が掲げてあった。

このお祭では、「七福神踊り」が有名で、七福神の絵燈籠もいくつも掲げてある。

このお祭では、「七福神踊り」と「笹踊り」が有名で、説明板によると、

「豊川水系に分布する笹踊りの中でも躍動性に富み、白狐の先導する特異な七福神踊りとともに祭礼に社前と辻などで奉納される。」

七福神踊りは縦列型と円陣型があって、七福神のうち弁天様の姿は無く、六福神に赤マラをかかえた白狐が先導する。

 

笹踊りも2型があった。

 

祭りが始まるまで時間があったので、腹ごしらえしようとお店を探したが、食べ物屋はなくて、コンビニがあったので、サンドイッチとビールを仕入れて、近くの「八幡神社」の木陰で昼食にする。

この八幡神社は、神輿が渡御してくるところ。

ここも社殿は、南東向きに建つ。

拝殿屋根には、「鳩型の八の字」紋がつくが、垂れ幕には「丸に七曜」の紋もつく。

本殿は、覆屋の中でその姿はわからない。

 

境内社はこれも覆屋の中に、稲荷社・秋葉社・琴平社が並ぶ。

 

ここにも祭神の応神天皇と神功皇后の絵燈籠が掲げてあった。

腹ごしらえをしてからまた引馬神社へもどると、祭りの参加者が大勢集まっている。

14時前に、拝殿前に参加者一同が勢揃いしての記念写真を撮ってから祭りが始まった。

 

神輿渡御の行列は集落のなか、御馬湊・鈴木商店前・西御馬辻・御馬城跡でそれぞれ七福神踊りと笹踊りを舞って、八幡社へ向う。

 

七福神踊りの赤マラを持った白狐の動きが面白く、笹踊りは、謡の声とマッチした勇壮な踊りがいい。

 

16時ごろ、一行は八幡社に入り、神輿は拝殿に納まり、神事が行われる。

 

その間、神様の依代と思われる中年の男の人が拝殿前にじっと座っている。


この依代には、頭上の面に、黒・白・赤、上着に青、袴の黄、脇差の赤、と五行思想の五色があしらわれている。

八幡社から引馬神社へ戻る途中には、敬円寺・小学校・十王・石川屋前・秋葉神社前でまた七福神踊りと笹踊りが奉納される。

 

十王前の集落へ入る前の道では、若者が豆腐状のものがついた太竹竿を支えながら移動していき、その若者たちに向って爆竹が投げつけられ、田圃に落ちては泥まみれになる、という神事も行われていた。

祭りに参加していた人に、この神事について聞いて見ると、この神事に参加するのは28・29歳の男衆に限られていて、
「とうふ」と呼ばれているそうだ。

 

この若者の一行がこの道を通過しなくては行列が進めない、ということで、夕暮れ迫るころまで行列はここで停滞する。

 

一行が引馬神社前の秋葉神社に到着するころにはすっかり暗くなり、秋葉神社横の祭場に神輿をすえて、また神事が40分ほど行われてから引馬神社へ戻る。

 

はじめに、豆腐状の竹竿と鉾をつけた竹竿が拝殿前で合わされて(多分交合を象徴しているのだろう)、拝殿前に据えられ、神輿も還御して、七福神踊りと笹踊りが奉納されて21時半ごろ祭りは終わった。

 

晴天の暑いなかではあったが、見せ場の多いお祭を堪能できて楽しい一日であった。