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棉祖祭

2011年10月23日、西尾市の天竹神社で行われる「棉祖祭」を見に行った。

「天竹」は「てんじく」と読むということは、地元に人に聞いて知った。

 

天竹神社は、名鉄「上横須賀」駅で降り、西へ歩いて20分ほど、西尾と吉良吉田の境を流れる「矢作古川」の西尾側にある。

朝9時ごろ神社に着いたが、神事は14時から始まるということで、上横須賀駅前の吉良吉田町の観光案内板に、日本武尊ゆかりの「幡豆神社」があることを知り、午前中は吉良吉田を歩いて、14時前にまた天竹神社へ戻った。

 

「棉祖祭」というのは、愛知県のHPによると、

「日本の綿栽培は、約1200年前、当時矢作川河口であった西尾市天竹町に天竺人が綿の種とともに漂着して、村人に綿の栽培を教えたことが始まり。日本唯一の棉神様のお祭りです。

天竹神社の棉祖祭は、綿を伝えた新波陀神(にいはたがみ)を祭る祭礼です。伝説では、延暦18年(799年)に崑崙人(こんろんじん/天竺人)が綿の種を持って今の天竹町あたりに漂着し、その種をこの地に最初にまいたことから、木綿の発祥地とされいてます。この祭りでは、海を渡って伝えられた綿にちなんで船みこしが担がれ、古式ゆかしい「綿打ち」の儀式も行われます。棉神様を祀る神社としては全国唯一のため、木綿関係者の崇敬も深く、祭りは多くの人でにぎわいます。」

なを、「<一口メモ>棉と綿の違い」によると、

「棉」収穫した実から種を取り除いた状態

「綿」打ちほぐした状態

 

ということだそうで、拝殿前で行われる「綿打ち」の儀式では、ワタの実から種を取り除き「棉」にして、それを弓で打ちほぐして「綿」にして、それを糸車を使って糸にする工程を見ることができた。

しかし、綿栽培は天竺の人がこの地に漂着したとのことだが、彼はどこへ向っていて遭難したんだろうか。。。

 

神事は14時から御祓いがあり、そのあと拝殿の中で15時ごろまで祝詞奏上などが行われていたが、我々拝観者は15時まで境内で綿打ちの儀式が始まるのを待った。

「綿打ち」というのは、「杵」のようなもので叩くのかと思っていたが、弓の弦をはじいて綿をふんわりさせるのだということを知った。

「糸車」も大きな車に糸を巻いているのかと思っていたが、手前の軸をそれで回転させて糸に撚りをかけているのだということも知った。

 

やはり、百聞は一見にしかず、だ。

 

境内には、船型の神輿が置いてあり、綿の実が入っていたという壺に模した壺が入っている。

このお神輿は、氏子の人たちの手作りだそうで子供神輿だが、今は子供の数が少なくなって練り歩きはしなくなったそうだ。

 

神社前の駐車スペースの片隅で実際に綿が栽培されている。