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刈谷の万燈祭

三河の刈谷で「万燈祭(まんとまつり)」が2011年7月30・31日は行われて見に行った。

万燈祭というのは、秋葉社境内にあった説明板によると、

「宝暦6年(1756)この地に秋葉堂が建てられ、翌年から祭りが行われた。安永7年(1778)になって各町組ごとの出し物に笛・太鼓で拍子をとる形態に変わり、この年初めて万燈が登場した。まもなく各町の出し物は次第に万燈に統一され、この秋葉祭礼は万燈祭ともいわれるようになった。この祭りは長い伝統を受け継ぎ、火難防除・町内安全の感謝と祈りを込めて、今日も続けられ、県指定文化財である。」


また、万燈保存会のHPによれば、

「「万燈」は竹と和紙で精巧に作られた張子人形のことで、氏子各町が半年以上の期間をかけつくりあげる万燈は必見です。祭りでは、大きいものでは高さ約5メートル、重さ約60キロにもなる万燈を、若者が1人で担ぎ、笛や太鼓の音色に合わせ舞い踊ります。火が灯され、真夏の宵闇に浮かび上がる万燈が舞い踊る様は、実に勇壮で、見る人の心を魅了する、まさに「天下の奇祭」と呼ぶにふさわしい祭りです。」

 

名鉄の駅前から始まる、ということで、「刈谷駅」で降りたが、それらしき雰囲気はないので、おかしいな、と思い、駅に貼ってあったポスターを良く見ると「刈谷市駅」の駅前出発となっていて、刈谷駅のもうひとつ先に「刈谷市駅」があることを知る。

 

刈谷駅前で腹ごしらえをして、まずは、秋葉社へ向かう。

神社は思ったより小さな社で、隣のお寺「秋葉三尺坊大権現」のほうが敷地も本堂も大きい。

神社から刈谷市駅前の通りへ17時すぎに着いたが、すでに「万燈」は揃っていて、けっこうな賑わいだ。

30日は、万燈は神社境内へは入らず、ぐるりと練り歩き、最後は広小路通りでの「一斉舞」で終わる。

万燈は40~60kgもあるそうで、それを一人で担いで舞うのは大変だ。

これを担ぐことが、少年が大人になるための通過儀礼の一つなんだろう。

 

ワッショイ、ワッショイと威勢のいい声と笛と太鼓のお囃子の満ちた暗闇に浮かびあがる万燈は美しい。

 

神社の境内には灯篭が並べられ、巫女さんの舞いも奉納されていた。

翌日の7月31日は、秋葉社境内の神前で舞われる「本楽」の日。

また同じ時間の名鉄で、今度は「刈谷市駅」まで乗っていく。

前日とは打って変わって駅前には人通りがない。

途中、ラーメン屋で腹ごしらえしてから秋葉社へ向かう。

 

17時ごろ神社に着くと、提灯に点ける「神火」を貰い受ける神事が行われていた。

神前舞は、司町、新栄町、銀座町、寺横町、広小路五丁目、広小路町、東陽町の7つの町衆によって順番に舞われる。

 

18時ごろからまずそれぞれの町の子供たちによる子供万燈の神前舞が行われてから、そろそろ薄暗くなってくる頃、大人万燈による神前舞が始まった。

始めはゆっくりしたお囃子「ちりり」にのって舞われる。

このとき、万燈を担いで舞う人は、足を跳ね上げるのが上手な人であるそうだ。

 

ゆっくりした舞を何人かが交替して舞われてから、「ちゃらぼこ」という速い調子のお囃子に変わって、若い衆がワッショイ・ワッショイと囃し立て、万燈もテンポよく動き回る。

 

寺横町まで終わったところで、立っているのも疲れてきて、ちょうど私の斜め前に空きスペースができたので、いつもバックに入れているビニールシートをひいてあぐらをかいて見ることにした。

東陽町まで終わってから、その町衆について広小路まで行き、最後の一斉舞を見て、刈谷市駅へ向かった。

 

けっこうな賑わいであったが観衆のほとんども地元の衆であるらしく、電車は意外とすいていて座って帰ることができた。

 

自分は大騒ぎに参加しているわけでもないのだが、けっこうスカッとした気分になり、いまだに「ちゃらぼこ」のお囃子の音が耳をはなれない。