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日向の七草祭
毎年旧暦の1月7日に、静岡市葵区日向(ひなた) にある 福田寺観音堂で県指定の無形民俗文化財の「七草祭」が行われる、というので、今年、2020年は1月31日に見に行った。

日向は、藁科川上流の山間集落で、12時過ぎに車で家を出て、国道1号バイパスを通って、15時前に日向に到着した。

車は道路沿いのちょっとしたスペースに適当に留めていいよ、とのこと。

お茶畑が広がり、地元の人曰く、「子供を育てるにはいいところだよ」。


会場の観音堂は、集落の小高い 丘の上にある。

 
 
 

まずは参拝。


境内のあちらこちらに地の神様だろうか、お強飯を供えて、 祀られている。

 

小高いところには、「庚申塔」がいくつも立てられている。
 
 

観音堂の裏手に「白髭神社」がある。


本殿は覆い屋の中にあり、外からはよく見えない。


祭りは6時半から、ということで、水垢離の行われる吊り橋を見に行った。

「出会いの吊り橋」。

 

夕暮れ時で、西に沈む太陽が、ちょうど吊り橋と一直線上にある。

 

吊り橋から集落を望む。

 
 


で、この行事は、旧暦の1月5日から8日にわたって行われるもので、私は7日の「夜祭り」のみを見物した。

当日、境内で祭りについて解説してあるパンフレットをいただいたので、それを参考にして進める。

5日には「シオバナ汲み」がある。

「シオバナ」とは海水のことで、担当者が安倍川河口近くの大浜・用宗方面へ出かけて海水と浜の石を採取してきて、翌日、日向町内の各戸に海水と浜の石が配られ、夜祭の「浜行」の演目で、清めとしてもつかわれる。

6日は、「大日待(おおひまち)」。

祭りの前夜、陽明寺の集会場に関係者が集まり、飲食をしながら翌日の祭の演目の最終の練習をする。
料理には肉は一切使用されない。

7日の祭の当日には、午前10時、「日の出の祈祷」があり、大般若経が読経される。

13時ごろ、夜祭で舞やその他の役を務める人が小向(こむかい)の吊り橋下の藁科川で6度の水浴で「水垢離」をして身を清める。

水垢離は、夜祭の前、16時半ごろにも、7度目が行われるそうで、この時は水浴はしないで笹で体に水を振りかけて清めるそうだ。

私は17時ごろこの水垢離があると聞いていたので、吊り橋のほうへ向かったらすでに役の人たちが戻ってきて、水垢離はすんだ後だった。

私も17時ごろ境内へ向かう。

焚火の前に置かれた長椅子に腰をおろして待っていると、甘酒やお茶も振舞ってくれた。
お茶はさすがに産地ですばらしくおいしいお茶だった。


18時半ごろ
からいよいよ「夜祭り」が始まる。


まず、今年の恵方の方向を確認してから祭りは始まる。


1.「歳徳神礼拝(としとくじんらいはい)」(ソーソー節)

「歳徳神」とは、その年の福徳をつかさどるとされる神様のこと。この神の居る方向は毎年変わり、その方角を恵方(えほう)といい、今年は「西南西」。

六人の舞役は恵方を向いて三度礼拝する。

2.「大拍子踊(おおびょうしおどり)

カミシモを身に着けた舞役6人が、円陣を作って踊る。

3.「猿田楽踊

大拍子と同じ踊りを、より速いテンポで踊る。



4.「こまんず(駒んず)ばやし

日向の七草祭での特徴的な演目で、数人が笹竹を持って輪を作り、ゆすって打ち付け合う笹竹の中を馬の面をかぶった子供が入り出ていき、馬と入れ替わって山鳥役の子供が入ってでていく。

馬は、「馬と蚕の伝説」から、山鳥は、その尾羽を蚕の掃きたてのときに使用することなどから登場すると考えられている。

田遊系の祭りは全国に多数あるが、養蚕の繁栄を願う演目は珍しく、山間の地日向では、かつては稲作以上に養蚕が大事な生業であったことがわかる。


5.6.「浜行・若魚(はまゆき・わかいお)

俵を背負っているのが「浜行」、天秤棒をかついでいるのが「若魚」で、ともに山海の幸をご本尊に奉納する。


7・8.「舞の奉納・浜行境内の内浄め

舞が奉納されているなか、再度浜行が舞台にのぼり、シオバナを撒き清める。


ここで、しばしの休憩の後、

9.「是より本祭となる」。

10.「翁どの乃田遊読本の出場のこと」。

本尊前から翁面と詞章本(万延本)が舞台に移される。

翁面は三宝にあるが、覆いがかけてあるので見ることはできない。

本祭りでは、11.「歳徳神礼拝」、12.「大拍子踊」、13.「こまんずばやし」の同じ演目を繰り返し、14.「田遊読本献読」をはさんで、15.「猿田楽踊」も繰り返し、その後、翁面と詞章本が本尊に戻され、一同が本尊に礼拝して夜祭は20時半ごろ終了する。

田遊読本献読」は、舞台中央に田んぼに見立てた大太鼓が置かれ、「万延本の数え文(かぞえもん)」を独特の節回しで読み上げ、その間、太鼓の上には米粒が撒かれる。

稲作に関係した鳥追い、田植え、取入れなどについて語られている。


私はこれにて帰途についたが、夜祭の翌日には、「オリビラキ」といって、祭りの後片付けをしてから、参加者の慰労を兼ねて、祭りについて語りあう宴席が町内集会場でおこなわれるそうだ。


前半と同じ演目が後半で繰り返される理由は諸説あるそうだが、パンフレットには、つぎのような説が紹介されている。

浜行と若魚役が「シオバナ汲み」の帰り道、腹ごしらえの握り飯を食べるときに雪も降って寒いのでお酒も飲んでしまい、寒さもあって一杯、二杯、三杯と、とうとう一升飲んで、その後の足取りは千鳥足で遅くなり、祭りの会場では彼らの帰りをまだか、まだかと待っていたが二人の帰りがおそいので、祭りの演目を始めて、「こまんずばやし」が終わるころ、二人はやっと会場にたどりつき、そのまま舞台にあがってシオバナを撒いて場内を清め、献じ物をご本尊に奉納したところ、祭りの頭が「舞台も清められたことだし、なあ、皆の衆、祭りは最初からやり直そうや」と言うので、祭りは最初から繰り返して演じることになったそうで、この演目の進め方がなかなか評判だったことから、この演目の繰り返しが現在までも続いているのだそうだ。