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諸葛村

2005年当時は、浙江省の義烏(いう)に住んでいて、上海から義烏への高速道路の義烏の出口近くに「諸葛八卦村」の観光看板が立っていて、この村はあの有名な諸葛孔明の子孫の村だそうで、2005年7月10日に訪れてみた。

孔明は山東省の生まれなので、この地で育ったわけではなく、子孫がここに移り住んだということだ。


朝6時すぎ、タクシーがつかまらないといけないと、早めに出かけたが、心配することは無く、すぐにタクシーが来て、南方バスターミナルへ向かう。

日曜のまだ6時すぎというのに結構たくさんの人が来ている。
肉饅と豆乳で腹ごしらえしてあとはベンチに座って行きかう人たちを眺めてすごす。

7時、やっと改札が開き、そちらに向かうと乗り込むのは私ともう一人若い女の子だけ。
なんだガラガラかあ、と思ってバスに乗り込むとすでに満席状態。

いつの間にこんなに乗っているんだろうと不思議で、私の座席の2番には赤ちゃんを抱いた若いお母さんが座っていて、ここは、私の席ですけど、と一応主張してみたが、威勢よく、番号なんて関係ないよ!、とのたまったので、しょうがないと後ろの方へいってみた。

最後列に1つあった席は女の子にゆずり、バスを降りて車掌のおばさんに、席がないよう!と抗議すると、そんなはずはないと、子供ずれのおばさんに子供を抱くように言って2番の席を空けてくれた。やれやれ。

満席プラス、通路にはお風呂で使う腰掛を並べて6人ぐらい定員オーバーで出発。
 

義烏の郊外から蘭渓までは高速道路を走り、予想通り、2時間足らずで諸葛村に到着した。

バスを降りるとすぐ、諸葛孔明の巨大石像が眼にとびこんできた。
なかなか凛々しいお顔だ。

 

街道から村への入り口には市場があり、まずはそこから覗くことにした。

野菜・果物・肉・魚は定番ものばかりで新しいものは見つからなかったが、市場の一角で、おばさんがなにやら詰め物の食品を作っているのを見つけた。

 

豆腐皮すなわち湯葉で、豆腐干(豆腐の燻製)と葱を刻んだものに一片の肉片を付けて包んだもので、これは私には初物。豆腐皮というと、湯葉のときもあるがたいていはもっと厚いもののときが多く、ここのように本当の湯葉はめずらしい。

昼飯のとき、食堂でもこれを見つけたのでなにはともあれ食べてみた。

 

鉄板で焼かれた、こんがりきつね色の湯葉がパリパリで、スモークされた豆腐干の香りとともに絶品。冷たいビールの肴にして幸福感に浸った。この逸品の名前は「素包」というそうだ。

昼飯のもう一品は、これも私にとっては初物で「江白条」、川の白い魚、というそうで、どうもこの魚を特定した名前ではなさそうだ。白身で泥臭みもなく美味そうなんだが細い小骨が多く食べにくく、味わうという余裕はなかった。
 
 

あと、 目についたのは、たぶんお墓参りグッズと思われる飾り物と鼠取り。

 
 

下の写真は諸葛村の地図で、私は地図の右手の商店街の方から入ったが、観光バスは地図左の方に泊まり、一般的な観光客は左手のから村へ入ることになり、そちらが表街道のようだ。

 
 

入り口には、さすがに学問を尊ぶ諸葛一族、高校入試の合格発表数の横断幕があった。

 

商店街で見つけた木桶屋。
ここで木の風呂桶のようなものを見つけたが、のちのち、黄山のふもとの古鎮を冬に訪ねたとき、これは一人用の炬燵であることを知った。

 

諸葛村は別名諸葛八卦村。風水や八卦デザインがあちらこちらで見られる。
そしていくつか旅館があり、諸葛さん経営の旅館もあり、このあたりから古いつくりの町並みになってきた。
 
 

いい雰囲気になってきたとブラブラ雑貨屋や金物屋などを覘きながら歩を進める。

ずっと一本道だったが、道が直角に曲がってちょっと行くと眼前に池が現れ、その周囲は一気に時代がさかのぼったような雰囲気。
 
 

右手のくずれかかったような長屋に人だかりがあるので、まずはそちらから覘いてみることにした。 

 

長屋は、お茶屋になっていて、のんびりお茶を飲む人々や、麻雀を囲む人たちでにぎわっていた。

この日は日曜日で皆さんのんびりしているんだろうか、ここで「諸葛さん!」と呼びかけると何人の人が手を挙げるのだろうか、などと思いつつ歩を進めた。

 

石垣の雑草や薄い瓦の積み重なりが美しい。

 
 
 

迷路を抜けて、民具を展示するところに行き当たったが、入場券が必要で、その道を右へ回った所に切符売り場がある、とのことで、それではとあちこち覘きながらそちらへ向かう。

立派な門構えの建物にも行き当たる。横手に門があったので入ってみると細い路地になっていた。

 
 

「諸葛大名垂宇宙」大いなる名、諸葛は宇宙に広がる。とでも訳すのだろうか、この張り紙はそこらじゅうで見かけた。 


戸の開いている家を覗かせてもらうと、入り口正面に遺影を飾り、その前に机と一対の椅子を配するのが形式のようだ。

 
蓮が栽培されている池の前に切符売り場がある。

蓮の花はいつ見ても美しい。私の大好きな花だ。


入場券は40RMB。村中フリーパスになるんだから安いものだ。

村は、風水のシンボルマークをかたどった「鐘池」を中心に、「九宮八卦陣」という布陣で造られているそうで、入場券の裏に地図があり、これの順路に従って、歩を進めることになる。
 
 

最初は、「丞相祠堂」。諸葛孔明が祀られた、諸葛一族の総祭儀場とのこと。

明時代の万歴年間(1573~1620年)に建てられた。東面して面積は1400平方メートル。毎年ここで盛大な祭りが行われている。


門をくぐると大きな祭儀場があり、すばらしい彫り物がほどこされた梁がすごい。

ここの巨大な天井にはたくさんの雀が巣を作り、チュンチュンと鳴き声が響いている。

 

諸葛孔明が使った戦車の模型が置かれ、写真屋が客待ちしている。


そして、この祭儀場の両サイドには、諸葛氏の著名人の像が並ぶ。

写真の諸葛大獅という27代目の諸葛さんがこの村を設計したそうだ。




一段高く上がったところに、孔明像が祀られている。


孔明像の前には、孔明が考案したという八卦占いがあり、私も占ってみた。

 

5枚の銭を両手で持ってチャラチャラ振ってから盤の上にあけてその位置で卦を読む。

私は、20番の「得禄卦」。意外なことに今現在が一番幸福な時だそうで、これはうれしいというよりも、今後奈落の底に落ちていくということかと、しばし暗然とする。

本殿へ上がる左右両側に、太鼓と鐘があり、それぞれ2元と3元で3回ずつ叩かせてもらえ、健康と幸運を祈願できる。


私も誰も見ていなくても天が見ていると思い、ちゃんと2元と3元を箱に入れて叩かせてもらった。

太鼓はひびが入っているのでちょっと割れた音がするが、けっこう大きな音を響かせた。
鐘の方も思ったよりいい音が鳴り響き、気持ちがいい。


丞相祠堂を出て順路に従う。


白壁の塗りの剥げたとことで、壁は、土と小石の混ざったものを干し固めたもとわかる。


細い路地の正面の壁に八卦のシンボルが描かれていて、不思議空間の雰囲気がいい。


八卦シンボルの壁は、ヒンプンになっていて、その目隠しの壁の向こうには、この村の中心に位置する「鐘池」があった。
この池は、村のシンボルで、白・黒の風水のシンボルの形をしている。


目隠しから池に出ると、洗濯するおばさんが木の棒で洗濯物を叩いていて、パーン、パーンと音が響き、かわず飛び込む水の音ではないが、あたりの静かさをよけい感じる。


鐘池のほとりに「大公堂」はある。

大公堂は、元時代に建てられ、江南唯一の孔明の記念堂であり、諸葛一族の議事庁でもある。


入り口の左右に書かれた「忠」「武」の二文字には引きつけられる。

建物の豪快な木組みが目を引く。


大公堂のすぐよこに諸葛孔明の48代目の子孫が住む「民居」があり、中は、書画骨董、庭では園芸小鉢を売っている。


大公堂脇の細道は、階段や坂道で上りになる。


蝉の声を聞きながらちょっと上ると「天一堂」の庭に入る門に行き当たる。

ここは、孔明から47代目の諸葛堂斎が造った有名な薬屋、天一堂の薬草園だそうだ。


この庭は小高い丘の上にあり、村の何分の一かを見渡すことができる。

 

浙江省の古い家は白壁に黒瓦の落ち着いた色調で、私は好きだ。

欄干の狛犬や瓦など、いろいろな造形に目を引かれる。


風が気持ちよく、木陰のベンチに横になり、しばし、休憩。

天一堂は、薬草園なので、植物名もそれぞれ記されていて勉強になる。

日本で以前、杜仲茶というのが流行ったと思うが、その杜仲がこんな大木だとは思いも寄らなかった。


この村を歩いていてよく見た、葉がギザギザの植物は、「枸骨」というそうだ。


庭の一番奥に、精力剤の王様、鹿の角をとるためか鹿が飼われていて、蛇池なんてものもあって、何種類もの蛇が飼育されている。

蛇池の中にはカエルがたくさんいたが、これはヘビの餌用に放されているのかもしれない。

ここのトイレはきれいに掃除されてされていて、誰もほかに人がいなかったので写真を撮らせてもらった。
いわゆる縦溝型トイレで、ここは間仕切りがあるので進化型。

天一堂を出て、坂を下ると、最初に来た池に出た。

それではと、初めに入場券が無くては入れなかった「農坊」に向かう。

中に入ると、土産物売り場があり、そこには以前船員をしていて日本へ行ったことがあるという諸葛さんがいた。
なんやかやと雑談したあと、「諸葛八卦村」という写真集を購入する。


いろいろな民具が展示されていて興味深いが、田舎へ行くとみんな現役なんだよね。

 

石でできた魚紋入り洗面器は私好み。
清代のミルクを飲ませる容器もあったが、これは母乳を搾って入れたんだろうか?


薬を作るためか、つぶしたり、挽いたりする道具が充実している。

 

絞る道具もすごい。

 
 

農坊を出て次の目的地「大経堂」へ向かう途中に理髪店があった。
4000人ほどいる諸葛さんを一手に顧客にもっていれば子孫永劫、商売は安泰だろう。
 

大経堂へ入ると、そこは大標本室になっていた。

 
 

本草綱目という漢方薬の材料を網羅した図譜のように、植物、鉱物、菌類、動物の標本が千点以上は並べられている。 

コブラやツキノワグマの剥製まであり、ここもじっくり見ると面白いんだろうが、かなり疲れてきたので、サッと目をとおしてから、椅子に腰をおろして休憩した。

ここは、天一堂薬局になっていたところのようで、薬製造器具なども展示されていた。

実際に薬も売っていて、売り場にメニューが掛けてある。


茶館もあったが、これは再現展示のようで人は誰も居なかった。

壁に、美容、ダイエットに効果があるお茶のレシピが掛けてある。


最終コースはまた少し階段を上って小高い丘の上まで行く。

途中、手相・人相観を商売にする人たちがかたまる一角を通る。
結構、商売繁盛のようで、どの机にもお客さんが観てもらっていた。


最後は「雍睦堂」。中は、苦学して科挙試験に合格したご先祖様の再現人形が展示されている。


机の上の書具セットがなかなかいい雰囲気だ。


いったんまた池のほとりに帰り、まだ歩いていない横丁へ入ってみたりする。

横丁はすぐに行き止まりで、また池のほとりにもどり、「古商業街」の店を覗いて歩く。


奥の小さな池の周りに蓮の葉が干してあったので近くにいたおばさんに、何に使うのかと聞いてみたが、花が終わったので干してある、との返事。


私の中国語が通じなかったようだが、疲れてもいたし、まあ何でもいいか、と詮索はやめておいた。

後で昼飯を食べた食堂の食材コーナーにもその干した蓮の葉があったので、食べるのか?と聞いたら、それを調理しろといわれればやりますよ、との答え。

ちょっと考えたが、どうみても美味そうではないので注文はやめておいた。


そろそろ13時、昼飯でもと、来るとき見た食堂をいくつか覘いてみたが営業しておらず、結局、振り出しのバス停のところにあった食堂まで行くことにした。

初めのほうで記した、湯葉料理を食べ、冷たいビールで生き返り、バス停まで来たついでに帰ることにした。

ここ始発の小型バスに乗り、蘭渓市のバスセンターに14時着。

15:15発の義烏行きが最終で、これに乗れなかったら帰りがやっかいなことになっていたと、ホッとする。

16時すぎには義烏着。
足裏マッサージでのんびりして、日帰りの旅は終わったのだった。