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河姆渡遺跡

2007年1月28日土曜日、思い立って寧波の余姚(ゆぃやお)にある「河姆渡(ほむと)遺跡」へ行くことにした。

随分前、NHKの番組で、日本への稲の渡来の南方ルートの原点として河姆渡遺跡が紹介されていて、日本人のルーツのひとつとしての印象が強く、その場所を見たかった。

土曜日の夜のうちに甘さんの運転で義烏から寧波まで高速道路を飛ばし、寧波から一般道で河姆渡へ向かうが、河姆渡に近づくころはすでに20時をすぎ、街道沿いには食堂もなく、やっと見つけたところで晩飯を食べ、泊まるには余姚まで行かなくてはホテルがない。

結局、余姚で100RMBの部屋を見つけ泊まる。
湯は出なかったが、暖房が効いたのでやれやれ。

翌朝8時出発。
余姚は、2年前来た頃より随分大きくなったような印象で、ケンタッキーで朝食。

河姆渡遺跡は余姚の市街地から約30km。

バスの東駅から1時間に1本バスがでているようだ。


我々は、9時前に河姆渡遺跡に到着して一番乗りだったが、すぐに温州からの観光バスの一行がやってきた。

入場券は20RMB+5RMB。5RMBはビデオ鑑賞ができる別館への入場券になる。

我々はまず「現場展示」のほうへ向かう。


思っていたよりは規模は小さいが、それでも第1次発掘現場は800㎡、第2時発掘現場は2000㎡ある。

 

甘さんいわく、ただの木だな。

私が答えて、7千年前の木だぞ!

甘さん、近くにいた監視員に、本当に7千年前の杭か、と聞くと、

これは復元されたもので、発掘された木杭は博物館の中にある、とのことでした。

現場展示では、復元された高床式の大きな家屋がいくつかあり、復元展示がされている。


生殖信仰の展示してある棟、生活様式の展示してある棟、陶芸教室なんかもある。

 

7千年前にすでに布を織っていたというのはすごい。


日本でいえば弥生時代の生活様式がそれより5千年ちかく前にすでに成立していたことになる。


時間があれば陶芸教室でなにか作るのも面白そうだったが、昼飯は紹興で、と考えていたので、博物館へ向かう。


博物館へ入るとすぐ、頭蓋骨と顔の復元模型がある。


これを見て、私が大学生のころの伝説のロックバンド「はっぴいえんど」の2枚目のアルバム「風街ろまん」のジャケットを思い出した。

長髪に無精ひげ。

中国人はひげが薄い人が多いので、無精ひげを生やした顔立ちは日本人のようで、やはり、浙江省は日本人のルーツか、という思いを強くした。

展示物は、炭化した米や食べられていた様々な動物の骨、植物の実、日本で言えば弥生式土器のような土器類がある。


中でも、卓上コンロともいえる、ポータブルな竈に感心させられた。

こんなのをクルマに積んで、キャンプに行くといいなあ、と思う。


別料金のビデオ鑑賞室はそこそこにして、時間も10時半ぐらいで、紹興へ向かえばちょうど昼飯時、と河姆渡遺跡をあとにした。